ノット指揮スイス・ロマンド管 ブラームス 交響曲第3番(2018.5.7Live)

ハンス・フォン・ビューローはブラームスの交響曲第1番をベートーヴェンの交響曲第10番と呼称したけれど、僕には今ひとつピンと来ない。確かにブラームスは20余年の歳月をかけ、ベートーヴェンに追いつけ、追い越せ(?)と細心の努力でもって、そして楽聖への尊敬の念を込めて最初の交響曲を書きあげたのだが、作風、というより作品の持つ内的性質という点で両者は明らかに正反対で、形式や志向性という意味で通底するところはあるにせよ「第10番」とするには土台無理があるように思うのだ。

ましてハンス・リヒターが、ブラームスの交響曲第2番をブラームスの「田園」交響曲と呼んだとか、同じく第3番をブラームスの「英雄」交響曲と呼んだとかいうエピソードについてはまったくもって首肯できず、一層ナンセンスだと思うのは、少なくともブラームスの場合、(天邪鬼の僕には)標題性というものがまず感じられないからである(リヒターがそういう意味合いでニックネームをつけたのではないだろうことは承知の上)。

4つの交響曲にあって、最も浪漫的で、また内燃するパッションに溢れていて、時に狂おしいほど劇的、逆に祈りを捧げるほどの静けさに満ちる交響曲第3番ヘ長調の、決して男性的、英雄的ではない、むしろ女性的な美しさ。

絶対音楽としての最高峰たる交響曲の理想的な演奏を観た。

・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90
ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団(2018.5.7Live)

ブエノス・アイレスはテアトロ・コロンでのライヴ演奏。
当日はヨハネス・ブラームス185回目の生誕日。
脂の乗り切った時期のブラームス畢生の傑作を、ノットは指揮と音楽とを見事に連動させ、終始一貫誠心誠意の、想いのこもった表現を自然体で創り上げる。何て素晴らしい。この演奏を聴いて「英雄」だと感じる人がどれほどいようか。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭から音楽は実に嫋やかで、そのクライマックスが第3楽章ポコ・アレグレットの愁いと懐かしさ溢れる表現だろう。終楽章アレグロ―ウン・ポコ・ソステヌートも脱力の、それでいて集中力に富む名演奏。

新年あけましておめでとうございます。
今年も皆様にとって最幸の年でありますよう。

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