
エロス・タナトスの一つの形。
アッシェンバッハの恥ずかしくなるほどの、少年への片想い。
そして、意識してか、また無意識か、彼の思念を煽る少年タッジオの思わせぶり。
タッジオが知っていたのかどうかは知らないが、逆光の浜辺で少年が西方を指差しアッシェンバッハに示すのは、それこそ死の浄化を示唆する天国(極楽浄土)なのではなかろうか?
生きること、愛することと死とはやっぱり同義なんだと思う。
トーマス・マン原作の「ベニスに死す」、そしてそれを見事に映像化したルキノ・ヴィスコンティの絶対的センス。半世紀以上前の映画だが、マーラーの音楽と見事に同化するシーンに、言葉を超えた「生と死」の「愛と死」の究極を思う。
ロバアト・ブラウニング「至上善」
蜜蜂の嚢にみてる一歳の香も、花も、
寶玉の底に光れる鑛山の富も、不思議も、
阿古屋貝映し藏せるわだつみの陰も、光も、
香、花、陰、光、富、不思議、及ぶべしやは、
玉よりも輝く眞、
珠よりも澄みたる信義、
天地にこよなき眞、澄みわたる一の信義は
をとめごの淸きくちづけ
~山内義雄・矢野峰人編「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)P82
真の愛というものに答を求めたブラウニングの思想を、上田敏博士は見事な訳詩に昇華した。
ここには僕たち人間の理想、最終形が刻印されるようだ。
バックに流れるマーラーのアダージェットの、これまた最高の演奏の一つがレナード・バーンスタインによるものだ。楽友協会大ホールでのウィーン・フィルとの渾身の映像が残されているが、バーンスタインの表情や指揮ぶりは、アッシェンバッハを演ずるダーク・ボガードの名演技を髣髴とさせる(音楽と完璧に同期する)。
・マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02)から第4楽章アダージェット
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1972.4&5収録)
絶品!





