自己評価に厳しいことは、後世に名を残すひとつの手段なのだろうか。
徹底的に練磨すること、納得するまで繰り返すこと、やり抜くこと。
天才であればあるほど、満点はいつもほど遠く、いかにそれに近づくことができるかという苦悩ばかりが残るのか。
第1楽章の一部が納得できず、再録音を希望していたものの、自身の死によりその願いは潰えた。しかし、協会の判断により世に問われるべきレコードが、37年ぶりに陽の目を見たときの感動。どの瞬間も有機的で、どのフレーズも熱く、何て美しい音楽なのだろう、初めて耳にしたときの衝撃が僕は忘れられない。果たして「悲愴」とは、これほどの音楽だったのか。
もはや言葉の解釈など不要の、センス満点のチャイコフスキー。
たぶん、今もってこれ1枚あれば、「悲愴」については十分感じ、十分語れるはずだ。無能な虚の形骸ではない、有能な、実の音楽。
われわれは学問や芸術なるものを、無為徒食の閑人の娯楽としてしか役立たぬ、遊び仕事と考えたりしません。われわれは学問に対しても、また芸術に対しても、人間のあらゆる仕事に対する場合と、同一のものを要求します。—すなわちわれわれは、これらのものの中にも、キリスト教徒のあらゆる行動を貫いている神と隣人とに対する実践的な愛の実現されることを要求するのです。われわれが真の学問と認めるのは、われわれを助けてよりよき生活に入らせてくれる知識のみですし、またわれわれが芸術を尊重するのは、それがわれわれの思想を浄化し、魂を向上させ、額に汗して営々と労苦する博愛の生活に必要な、われわれの力を強化してくれる場合に限ります。
~トルストイ/原久一郎訳「光あるうち光の中を歩め」(新潮文庫)P81-82
第1楽章アダージョ—アレグロ・ノン・トロッポ、特に展開部以降の豪壮なエネルギーは、決して表面的に陥らず、果たして彼がどの部分を気に入らなかったのかと無用に詮索したくなるくらい血が通い、感動的だ。あるいは、第2楽章アレグロ・コン・グラツィアの豊かな詩情、そして、第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの、決して煩くならない堂々たる威容と、終結に向けて機能する絶妙なアッチェレランドに言葉がない。
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(1959.9録音)
とはいえ、最高のシーンは終楽章アダージョ・ラメントーソ—アンダンテ。余計な感情に偏らず、しかし、冷静な知性にも偏らない、「嘆き」という心だけが見事に抽出され音化される。そして、その「嘆き」の心は、徐々に昇華され、最後には希望へと、否、愛へと変化する。
あんたは自分がやって来た以上のことができないと言って悲嘆してなさる。が、嘆きなさるな、お若いの。われわれは一人残らず神の子で、またその神の下僕なのだ。われわれはすべて神に仕える一隊なのだ。ねえ、まさかあんた以外に、神の下僕はいないなんて考えているのじゃないだろうな?もしあんたが働き盛りの時に、神への奉仕に献身していたら、神に必要なことを、全部行なっていただろうか?神の王国を建設するために、人間がすべきことの全部をなしとげていただろうか?
あんたは倍も、十倍も、百倍も、余分にやったにちがいないと言うだろう。しかし、もしあんたがすべてのひとびとより何億倍も多くなしとげたにせよ、神の仕事全体からみれば、それは何でもありはしない。取るに足らぬ大海の一滴じゃ。神の仕事は、神それ自身のように広大無辺際じゃ。神の仕事はあんたの内部にありますのじゃ。
~同上書P146-147
チャイコフスキーが人生の最後に書き上げた緩徐楽章を、内なる神に捧げるべくフリッチャイは棒をとったということだ。そのあまりの美しさに恍惚とせざるを得ない。
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岡本 浩和 様
チャイコフスキーの「悲愴」を聴くと、その終楽章にいつもノックアウトされます。だれのを、いつきいてもそうなのですが、フリッチャイ・ベルリン放送響の演奏は、これ一枚で十分、というほどの演奏なのですね。ぜひ聞いてみます。
>ヒロコ ナカタ 様
あくまで僕個人の独断と偏見ではありますが、終楽章にノックアウトされるのでしたら間違いなく感動していただけると思います。
フリッチャイ指揮、ベルリン放送響のチャイコフスキー「悲愴」を聴きました。とても心揺さぶられました。終楽章は涙が出ました。私の刷り込みはジャン・マルティノン指揮のLP盤だったので、改めてマルティノンのCDも取り寄せて聴いてみました。うーん、「悲愴」の悲劇性においてフリッチャイが勝っている、と認めざるを得ませんでした。チャイコフスキーの悲しみにフリッチャイが輪をかけて絶望感を注ぎ込んだのでしょうか。もう人間界を離れたところで音楽が鳴っている、と感じました。それにしてもチャイコフスキーはなぜこのような終楽章を書いたのでしょうか。チャイコフスキーの人生と音楽の関係についてあまりよく知らないことが残念なのですが、交響曲というものは、1楽章から紆余曲折を経て、終楽章でその完結と問題の昇華に至る・・・というのが多いと思うのですが、この終楽章はまるで絶望に打ちひしがれながら消えていくのみ、という風情で、これが最後の交響曲なだけに、チャイコフスキーに何があったのか、気になってきました。(その謎はもう世の中では周知のことかもしれないのですが。)改めてこのような気持ちになったのは、フリッチャイの「悲愴」を紹介していただいたからです。ありがとうございました。
>ヒロコ ナカタ 様
フリッチャイ盤を聴いていただきありがとうございます!
「悲愴」は死の直前に書かれたというより、チャイコフスキーは初演からわずか10日ほど後に急逝したということですから、少なくとも作曲当時、本人に死の前兆というか意識はなかったはずです。それでも、終楽章は偶然とは思えないような悲痛な音楽ですから虫の知らせというか、無意識にそういうものはあったのかもしれません。
「アダージョ・ラメントーソ」というテンポ指定も自筆譜では「アンダンテ・ラメントーソ」になっていて、これも四半世紀前に諸々物議を醸したりしていましたが、チャイコフスキーの死の真相とともに謎に包まれたままです。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=2097
今となっては真実は闇の中ですが、「悲愴」が名曲であり、その終楽章が素晴らしい音楽であるという事実だけで十分なような気がします。(笑)
岡本 浩和 様
ご紹介いただいた「自筆譜による世界初の悲愴」の記事で、チャイコフスキーのことが少しわかり、ありがとうございました。「すべてつかみどころのある曲」は、ハタと膝を打つぴったりの表現ですね。狭量だと思われるでしょうが、神様から「これから5人の作曲家の音楽しか聴くことが出来ない、5人選びなさい」と言われたら、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーだな、と日頃思っているほどチャイコフスキーの曲に魅力を感じているにも関わらず、知っていることは、パトロンに〇〇夫人がいたこと、同性愛者であったのでは?ということくらいであることに、今さらのようにびっくりします。ありがとうございました。