雪を愛で、ポゴレリッチのモーツァルトを聴いて思ふ

mozart_pogorelich天衣無縫のモーツァルト。
物事の道理をわきまえ、とても20歳そこそこの青年とは思えない理性。
音楽が降って湧き、いとも容易く記号化することができたその腕は、古今東西のどの作曲家が複数でかかっても決して追い越すことができない魔法のようなもの。

雪が降ると思い出す。
ポゴレリッチのモーツァルト。
ふっと溜めて、ふっと吐き出すように、凡人には想像もできないような独特のテンポ・ルバートと絹のような肌触りの何とも柔らかく、しかも整然としたディナーミクの妙。長い音楽の歴史の中で、ルネサンス期やバロックや、あるいは後期ロマン派や近現代の音楽を散々耳にした後に心地よく響くのはモーツァルトの音楽のみ。心にも身体にも、そして魂にも優しい至高のヒーリング・ミュージック。それをポゴレリッチがいかにもポゴレリッチ節で奏でるのである。悪かろうはずがない。愛する師であり妻をなくす前の、極度な鬱状態に陥る前の、ポゴレリッチの音楽は実に安心して聴ける。それでいて、普通じゃない・・・。

人には支えてくれる誰かが必要だということ。
あくまで主観が軸となるのだが、そこに客観性が付与されてはじめて「全体に優れた真実」になる。今やようやくイーヴォは立ち直った。それでも、かつての彼とはまったく異なる。この際、どちらが良かったという比較はナンセンスだが、それでも20年前のあの頃の彼が最も輝いていたと懐かしがる人は多いのでは・・・。こういうアルバムを聴けば聴くほど想いが募る。例えば、彼がソナタのすべてをあの時期に録音してくれていたなら・・・。

モーツァルト:
・幻想曲ニ短調K.397(385g)
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283(189h)
・ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331(300i)
イーヴォ・ポゴレリッチ(ピアノ)(1992.6録音)

誰しも音楽を愛好し始めた最初にはまるのはモーツァルトだろう。K.283もK.331も、僕が最も早い時期に好んで聴いていたモーツァルト。しかも、ろくに弾けもしない癖に見よう見まねで適当にピアノを自らの腕で鳴らそうとした作品も実にこの2つ。もちろん永遠に真面に弾けなかったのだけれど(笑)。

K.331の第1楽章の変奏の変幻自在さにまずはひれ伏したくなる。多分、モーツァルト自身はまったく自由に、即興でこれをこういうニュアンスで披露したのだろう。第2楽章の愁いを帯びた響きにはモーツァルトの理性がそっと寄り添う。第3楽章「トルコ行進曲」は・・・、玉を転がすようにニュアンス豊かで、史上最高!
ザルツブルク時代の作であるK.283第1楽章の可憐な美しさも天下一品。モーツァルトの魂が喜び、飛翔する。
そして、最高峰はK.397!!!悲しみに打ち沈む楽想が一転して本来なら明朗で健康的な音楽に変貌するあの瞬間が実に悲しげで意味深なのである。これこそポゴレリッチの奇蹟!!!

ほんと、すごい。
聴いてない人は聴かないとだめ。
モーツァルト好きなら絶対。
思わず言葉が乱暴になる。
ポゴレリッチ・ファンはもちろん聴いているでしょうが、今夜あらためて聴いてみましょう。

雪の降る日に・・・、イーヴォ・ポゴレリッチのモーツァルト。

 


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