イーゴリ・オイストラフのショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番(1966.10.3Live)を聴いて思ふ

10月25日の、オーケストラとの最初のリハーサル後、ショスタコーヴィチは、1948年の、あのぞっとするような状況下で完成させた楽譜にざっと目を通し、やはり自分は真に尊敬に価する仕事を成し遂げたという感慨にふけった。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P255

こんなにも人間的で、熱く心に染み入る作品に出逢えることはなかなかない。
時代の、避け難い政治状況の中で生み出された音楽、そしてしばらく公表を憚られた音楽は、聴く者の肺腑を抉る。

最近の作品のうち、もっとも重要な二作品が日の目を見ることなく引き出しにしまわれ、あまりに多くの仕事上の道が閉ざされたため、ショスタコーヴィチはその困難な時期に家族を養う手段として、映画音楽に頼らざるを得なかった。彼は音楽仲間たちにこう打ち明けている。「映画音楽を作らなければならないのは不愉快だ。映画音楽なんて貧乏のどん底、貧乏のどん底に落ちこんだときだけにしたほうがいいよ」。
~同上書P223

彼の創作した映画音楽が、否、そもそも映画音楽というものが純粋芸術より下等のものだとは思わないが、そこまで言い切った作曲家の気持ちはわからないでもない。

鬼気迫るショスタコーヴィチ。すご過ぎる。
哀切漂い、時に怒りを表出するイーゴリ・オイストラフの演奏は圧巻。
音楽はどの瞬間も堂に入り、またどの瞬間も今この目の前で演奏されているのかと錯覚するほど刹那的で、神々しい。

初演者である父ダヴィッドの衣鉢を継ぐ、いや、父以上に思い入れたっぷりで誠心誠意のショスタコーヴィチ。第1楽章「夜想曲」での、徐に奏される独奏ヴァイオリンの芳醇な響き、暗黒の内に秘める希望の歌。続く、第2楽章「スケルツォ」の、軽快さと重厚さにショスタコーヴィチの心の叫びを聴く(コーダに向けての強烈なアッチェレランドに異様なくらいに興奮する)。そして、神妙であまりに美しい(特にカデンツァ!)第3楽章「パッサカリア」を経て、終楽章「ブルレスク」に至る「時間」は作曲者の時代の権力者に反発する心情吐露のように切なくまた攻撃的。

ショスタコーヴィチ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品99
・交響曲第5番ニ短調作品47
イーゴリ・オイストラフ(ヴァイオリン)
クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団(1966.10.3Live)

ザンデルリンクの棒による交響曲第5番は、第1楽章冒頭モデラートから実に深みのある慟哭の調べを醸し、ショスタコーヴィチの音楽を手放しで讃えるよう。テンポも速めで、音楽は一気呵成に進められる。

皆が手放しで歓呼したのは、ショスタコーヴィチとその新しい作品に対する支持を、大げさに誇示するためではなかった。初演に列席するため、モスクワからやって来た多くの同僚の一人、ヴィッサリオン・シェバリーンが覚えているのは、観客の熱狂ぶりがあまりに凄まじく、ショスタコーヴィチも幾度となくステージに呼び出されたため、その大喝采が示威運動へと変化しそうだったということである。作曲家に対するプラウダの批評を考えると、それは明らかに不吉な展開であった。
~同上書P139

この狂乱ぶりは、当時の誰もが鬱積していた証だろう。
ショスタコーヴィチの音楽は、爆発し、また沈潜し、人々を慰め、勇気を差し出す。

その場に居合わせたある者は、ラルゴの最中に男女を問わず、観客が人目も気にせず声をあげて泣いていたと、そのときの思い出を語っているし、また別の者の記憶では最終楽章が終わりに近づくにつれて、聴衆が一人また一人と起立し始め、演奏が終了してムラヴィンスキーがスコアを頭上で振ったとたん、耳をつんざくほどの拍手喝采が起こったという。
~同上書P138

そのときの演奏を再現するかのような白熱。
第3楽章ラルゴはうねり、瞑想する。そして、終楽章アレグロ・ノン・トロッポは予想以上に速いテンポで始まるも、コーダの急ブレーキの如くのテンポにより音楽は地に足がつき、ティンパニの轟音と金管群の阿鼻叫喚との炸裂が見事に決まる。
嗚呼、何て素晴らしい・・・。

 

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