ペンデレツキ指揮ワルシャワ・フィルの「怒りの日」ほか(2015.6録音)を聴いて思ふ

1997年のインタビューでクシシュトフ・ペンデレツキは次のように語る。

キリスト教に深く根差す私の芸術は、20世紀の大惨事によって打ち砕かれた人間の形而上的宇宙を復元することを目指しています。現実に神聖な次元を復元することは、人間が救われるたった一つの方法なのです。

想像以上に耳ざわりが良いのは、クシシュトフ・ペンデレツキの宗教作品。
信仰が作曲の源泉だとするこの人らしい、深い淵からのぞき込むような、文字通り深遠な音楽が多大な祈りをもって再現される様に、思わず跪きたくなるくらい。

大戦開戦から100年後の2014年、第1次世界大戦の犠牲者のために書かれた「怒りの日」は、全編が恐るべき「静けさ」と同時に、強烈な爆発によって支配される。合唱はまるで死者を癒す光のようだ。

かつてペンデレツキは、第2次世界大戦の犠牲者のために「ルカ受難曲」を世に送り出したが、キリストの受難物語をテーマに据えた理由を次のように説明している。

受難曲はもちろん、キリストの受難と死を扱っていますが、20世紀半ばに生きる私たちにとって、それはまた人類の悲劇であるアウシュヴィッツでの受難と死の体験とも関わっています。ですから私はこの受難曲を、《広島の犠牲者に捧げる哀歌》と同じように、普遍的でヒューマニスティックな性格を持った作品にしようと思いましたし、実際にそうなったと感じています。
PROA-150ライナーノーツ

実際、宗教作品に限らず、ペンデレツキの作品には普遍性とヒューマニティーが常に宿る。彼の音楽のどの瞬間にも「温かさ」が感じとれるのは、たぶんそのせいなのだろうと思う。

ペンデレツキ・コンダクツ・ペンデレツキVol.1
・3人の独唱、合唱と管弦楽のための「怒りの日」(2014)
・混声合唱と管弦楽のための「聖ダニール讃歌」(1997)
・混声合唱と管弦楽のための「聖アーダルベルト讃歌」(1997)
・混声合唱とパーカッションのための「ダビデの詩篇」(1958)
ヨハンナ・ルサネン(ソプラノ)
アグニエシュカ・レーリス(メゾソプラノ)
ニコライ・ディデンコ(バス)
クシシュトフ・ペンデレツキ指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団(2015.6.16-18録音)

2つの讃歌は、極めて清澄で、それでいて決して単調な作りでなく、20世紀末の音楽とは思えない魅力を放つ。文字通り愛と信仰の詰まった美しい音楽と指揮。管弦楽と混声合唱が一体となる様に恍惚となる。

そして、より土俗性を強調し、古い、異教的な響きを醸すのが(初期の作品である)「ダビデの詩篇」から「詩篇第28番」、「詩篇第30番」、「詩篇第43番」と「詩篇第143番」。何という挑戦的な音楽。しかし、ここでも彼が間違いなく「神聖な次元を復元する」ことを軸にしていることが容易に理解でき、心から惹きこまれる。

新しい音楽が、面白い。

 

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