レオンハルト&クイケンのバッハ「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」を聴いて思ふ

bach_violin_sonatas_kuijken_leonhardt174バッハの音楽は愛撫のように優しい。
何気なく流れる旋律に涙するも、ひとたび聴くことに集中するとこれほど心躍る音楽はない。そして、特に彼がケーテン時代に生み出した数多の世俗音楽は、いずれも宗教の枠を超えて信仰そのものを表わす真の敬虔さと自然さに溢れるもの(だと僕は思う)。

バッハが生を得る150年前にイングランドで没したトマス・モアの「ユートピア」をひもとく。第2巻第9章「ユートピアの諸宗教について」。

しかしわれわれがキリストの御名について語り、またさらにキリストの教義・律法・奇蹟、および多くの殉教者の驚くべき節操(喜んで流されたこれらの殉教者の血が全世界の人々をキリストの教えに導いたのだ)について語った時、いかに彼らが喜んでこの教えに賛成したか、恐らく信じていただけないだろうと思う。これは神のひそかな霊感によったものかもしれないし、彼らの間で最も重要だと考えられているあの考え方に非常に近いと彼らが思ったのによるものかもしれなかった。とにかく、キリストは自分に従う者の間における一切のものの共有制を認め給うたこと、およびこのような共有制が真正なキリスト教徒の間では今日でもなお依然として残っていることなど、こういうことをわれわれがいうのを彼らが聞いたということが、この問題に対する彼らの関心を深めるのに役立ったことは争えないと思う。
トマス・モア著/平井正穂訳「ユートピア」(岩波文庫)P159

人が宇宙や自然とひとつになるにはいわば脱皮せねばならぬ。すべては思い込みを捨てることから始まるようだ。
ジギスヴァルト・クイケンがグスタフ・レオンハルトと協演したヴァイリンとチェンバロのための6つのソナタを聴いた。ここにはまさにモアが描いた「ユートピア(理想郷)」がある。

第6番ト長調BWV1019第2楽章ラルゴのあまりに深い情感に心動く。クイケンの繊細な「泣き」のヴァイオリンに感銘を受け、伴奏するレオンハルトのチェンバロの美しい響きに涙する。

J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタBWV1014-1019
・ソナタロ短調BWV1014
・ソナタホ長調BWV1016
・ソナタト長調BWV1019
・ソナタヘ短調BWV1018
・ソナタイ長調BWV1015
・ソナタハ短調BWV1017
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ)
ジギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン)(1973.6.13録音)

2人の演奏のこの清々しさの右に出る者はいまい。通常は峻厳な佇まいのレオンハルトのチェンバロの響きが実に柔和である種遊びの心を持つ。一方のクイケンのノン・ヴィブラート奏法のヴァイオリンの、すべてが削ぎ落とされた自然な音色に心が和む。
第5番ヘ短調BWV1018第1楽章ラルゴにも、不思議な哀しみが纏いつく。マリア・バルバラの死と関係があるのかないのかそれはわからないが、この憧憬に満ちた音感にこそ人間バッハの最上の瞬間を垣間見る。何より続く第2楽章アレグロの活気との対比が見事。
ちなみに、僕のいくつもある人生の痛恨事のひとつが、グスタフ・レオンハルトの実演を(聴けなかったのではなく)聴かなかったこと。後悔先に立たず。

 

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