今に生きる

憑かれたようにLark’s Crimsonの”Red”-40th Anniversary Versionを繰り返し聴いたら、この底知れないエネルギーの源泉は一体どこにあるのだろうととても不思議な感覚に襲われた。60年代から70年代にかけての世界中(地球上)で起こった出来事との相関ももちろんあるように思うが、それにしてもテンションが半端でない。おそらく1913年、パリのシャンゼリゼ劇場を舞台に物議を醸したストラヴィンスキーの「春の祭典」初演の際の、激しいブーイングの傍ら、その内に真実の音楽を感じ取り、恍惚となっていた一部の愛好家がもったであろう、ほとんど新興宗教を崇めたてるような心持と、そこから発せられる熱気までもが如実に伝わるインプロヴィゼーション・パフォーマンスであり、いつ聴いてものけ反るような感動を覚えてしまう。
いつだったか購入したコルトレーンの1961年のヴィレッジ・ヴァンガードにおける壮絶パフォーマンスのコンプリート・セットを聴いたときにも同じような感覚に襲われたことを思い出した。

この4枚組のCDを一気に聴くことは不可能。ともかく聴く側にも相当のエネルギーを要求する代物ゆえ。特に、エリック・ドルフィーとの絡みを耳にすると、この不世出の天才が早世した理由も何だかよくわかるような気がする。とにかく生き急いでいるような演奏。
まずは11月1日の演奏の一部を収録したDisc1を・・・。

John Coltrane:The Complete 1961 Village Vanguard Recordings
Disc1
>India
>Chasin’ the Trane
>Impressions
>Spirituals
>Miles’ Mode
>Niama

Personnel
John Coltrane(soprano saxophone, tenor saxophone)
Eric Dolphy(alto saxophone, bass clarinet)
Ahmed Abdul-Malik(oud)
McCoy Tyner(piano)
Jimmy Garrison(bass)
Reggie Workman(bass)
Elvin Jones(drums)

時間と空間の芸術である音楽というものをその時その場で共有することができないことは相当のハンディであると特に最近思うのだが、そうは言ってもこういう歴史的演奏を聴かずに生涯を終えてしまうことを考えたら恐ろしくなる(大袈裟だけど)。それくらいに人類の至宝であり、その場の雰囲気までもしっかりと刻印されたこういう音盤を聴けることは幸せなことだと・・・思える。

創造者が、そのものを現出するときの頭脳の回路ってどうなっているのだろう?
一定のルールを順守しながらも「枠」を乗り越えるという発想の出所がどこなのか知りたい。ひょっとすると過去の記憶や周囲の関係に縛られず、ただただ「今に生きる」ことがやっぱり大いなるポイントなのかもしれないと、コルトレーンを聴いて考えた・・・。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>一定のルールを順守しながらも「枠」を乗り越えるという発想の出所がどこなのか知りたい。

芸術は、ポジティブとネガティブの垣根を乗り超えるところに生まれると思いました。

その発想こそが、天才芸術家の、たとえば単なる天才商売人とは異なるところ?

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>ポジティブとネガティブの垣根を乗り超えるところに生まれる

なるほど!陰陽を乗り越えると、そこには「すべてが表裏一体ただひとつ」という発想が展開されると思います。
確かに天才商売人とは違う点でしょうね。一流芸術の永遠性というのはそういうところにもあるのかもしれませんね。

ありがとうございます。

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