
ブルーノ・ワルターのワーナー(EMI)のコンプリート・セットがリリースされたので手に入れた。以前リリースされたソニーのものと併せ、これでワルターの正規録音がすべて揃ったことになる。(丁寧にゆっくり聴いていこうと思う)
シゲティ&ワルターのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲(1947.4.5録音)を聴いて思ふ まずは、ブルーノ・ワルターとヨーゼフ・シゲティの協演。
ワルターはシゲティの演奏を賞賛した。
決して技巧的とはいえないその演奏を、音楽の本質に迫る、誠実なものだとした。
一方、シゲティもワルターを賞賛する。
シゲティは、ワルターの奏でる「歌(カンタービレ)」、フレーズの自然な呼吸に触れ、ワルターの許でヴァイオリンを演奏するとき、楽器ではなく人の声のように歌うことができたというのである。
1世紀近く前の、古い録音ながら最新の技術でリマスターされた音源は極めて聴きやすい。
(しかし、オーパス蔵などの復刻と比べると、あまりに整理整頓され過ぎ、それこそワルターとシゲティが互いに鼓舞し合い、切磋琢磨するやり取りが希薄になっているように感じられる。つまり気迫が減退しているのである)
当時、そもそも録音スタジオというものが無機質な場だったと言われる。
その無機質な空間をワルターは一瞬にして崇高な宮殿に変えてしまうとシゲティが回想しているところをみると、二人の実演そのものは極めて高尚かつ有機的なものであっただろうことが想像できる。
ヴァイオリン協奏曲(および「プロメテウスの創造物」序曲)は、ロンドンは、セントラル・ホール・ウェストミンスターでのセッション録音。
比較的速めのテンポで颯爽と奏でられるヴァイオリンに対して、ワルターはまるでブレーキをかけるようにテンポを揺らす。その絶妙なずれと間合いがまた音楽に生命力をもたらしている。
当時はほぼ一発録りだと思うが、それがまた音楽の自然体を誘発しているのだろうと思う。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポのカデンツァはヨーゼフ・ヨアヒムによるもの。
第2楽章ラルゲットも奇を衒わず、ベートーヴェンの慈愛を見事に表出する。
そして、終楽章ロンド(アレグロ)へのアインガングもヨアヒム作であり、丁寧にゆったりと音楽を奏するシゲティに対し、ここでもワルターの音楽は一気呵成に前進する。
1930年の春には、ヨーロッパの諸音楽中心地に輝かしい勝利の遠征を進めていたトスカニーニとニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団を、ライプツィヒに迎えた。トスカニーニの話を聞いておもしろかったのは、彼もまたゲヴァントハウスでの一度の演奏会とそれにつづく交歓会から、この建物の《古典的な》雰囲気に感銘を覚えていた点であった。それがこの機関の持つ無類の長所であることは、まずます根ぶかい私の経験によってくりかえし実証されたことだったのである。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P387-388
あの頃はまだ、古き良き欧州の風情を残していたことがわかる。
「フィデリオ」序曲と「コリオラン」序曲はロンドンのアビーロード第1スタジオでのセッション録音(「フィデリオ」序曲はコーダの追い込みに興奮を覚えるが、いかにもセッション録音らしい余所行きの印象)。
そして、「レオノーレ」序曲第3番は、ウィーンは楽友協会大ホールでのセッション録音だ。
(一方、こちらはウィーンらしい高雅さと凄まじい熱気を醸す名演奏)
さきにも触れたように、政権掌握後の初期における国民社会主義は、まだ或る種の領域においては、分別があるという外見を、それどころか合法性の外見さえをも得ようと努めていた。おそらくはこれによって、一部ナチの動きに敵意ないしは不審の念を抱いていた、比較的古い世代の人たちをしずめようとしたのである。私の家財道具をベルリンからウィーンに困難なく運びこめたのもこのおかげであった。それどころか驚いたことに移住後数か月してから、馬鹿にならない金額の税が国から返還されてきさえした。もっともこれは、きちょうめんな昔の官吏がまだたくさんそのままの地位についていて、おそらくはこうした方法で、もはや口にはだせない気持を証明したがったせいでもあるらしかった。
~同上書P418
嵐の前の静けさとでもいうのか、後に振り返ったとき様々な不自然さがあるのはわかるのだが、人というもの、得てして「そのとき」には気づかないものだ。
