
交響曲第2番ニ長調は、ハイリゲンシュタット以前か以後か。
一般的にはほぼ同時期に書かれたというのが定説だが、昨今はそれが誤謬であることが指摘されている。パート譜まで含め、ハイリゲンシュタット滞在以前に仕上がっていたというのがどうやら正しいようだ。
シンフォニー第2番を理解する上でハイリゲンシュタット以前か以後かは、3で述べたように、少なくともこれまでのベートーヴェン理解の鍵を握る問題であった。確かに“以後”または滞在中でさえこの作品の創作に携わったことはあっても、“以前”にパート譜作成まで進んだとすれば、すでにそれは「演奏可能な状態」、すなわち「一応、完成」していたと考えるべきである。その後の作業は手直しとか改訂と言うべきものであり、その作品の基本的あり方はそれまでに「事実上の完成演奏可状態」」という域に達していた。改訂作業がきわめて大規模なものとなってスコア譜を新たに作成する場合は「改稿」というが、それでも「初稿」は完成していた。もちろん原理的には、「改稿」が一線を越えて別の作品を生み出す結果となることもありうる。プロコフィエフのシンフォニー第4番やランゴーのシンフォニー第5番などがその例であるが、それらの場合はそれぞれの創作期を別立てにしなければならないだろう。
創作者とその作品の関係を考える際に最も重要なのは、集中的取組みはいつだったか、ということである。精神的集中期といってもいいし、要するに作曲の渦中にあった時期を特定することである。その終了までが実質創作期といえる。シンフォニー第2番のそれは、6つの弦楽四重奏曲(Op.18)の作曲が完了した1800年秋頃に始まって、1800/01年の変わり目から1801年3月末までバレエ《プロメテウスの創造物》(Op.43)作曲と上演による中断の時期を挟んで、欲1802年4月末頃まで、と規定できよう。そこから見えてくるのは、ヴァイオリン・ソナタ第4番と第5番(《スプリング・ソナタ》)(Op.23/Op.24)、ピアノ・ソナタ第12~15番(Op.26/Op.27-1/Op.27-2/Op.28)、弦楽五重奏曲(Op.29)を次々仕上げていく一方、大曲にじっくりと取り組んだ、という構図である。しかもこの時期は、サリエリの許に通って、将来のイタリア・オペラ作曲のための修業にも精進していた。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築1」(春秋社)P53-54
大崎さんの、実に緻密な推論に頭が下がる。
創作において実に充実した年月を過ごしていた中で、耳疾の問題が起こるのだが、どうやら交響曲第2番は「遺書」とは別にして考えるべき作品だということがよくわかって面白い。
堅固で明朗で、かつベートーヴェンの革新が刻印される新時代の音楽は、200数十年後の今もって光彩を放つ逸品だ。
アンタル・ドラティの全集は、いずれもが職人らしいオーソドックスな解釈の中にきらりと光る同時のひらめきが刻印されるところだ。
ベートーヴェン:
・交響曲第2番ニ長調作品36(1976.10.4&5録音)
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1976.5.8-12録音)
アンタル・ドラティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
揺るぎない、堂々たるテンポ感。そして、明快なテクスチュア。
その上で、強靭な推進力を誇り、時に内声部を浮き上がらせ、新鮮な驚きを僕たちに与えてくれる。
第1楽章主部アレグロ・コン・ブリオの強烈なドライヴ感の炸裂。
また、第2楽章ラルゲットの即物的な、つまり浪漫に溺れない解釈美。
そして、本格的に導入された第3楽章スケルツォのアクセントのキレとスピード感。
さらに、終楽章アレグロ・モルトは、時間の経過とともに熱量が上り、コーダの爆発に快哉を叫ぶ。
どこをどう切り取ってもいかにも充実度の高い、生命力と希望に満ちるベートーヴェンだ。
やはりこれは、遺書前の創作であることに間違いないだろう。安心の1セット。


