毎日が日曜日なのか平日なのか曜日感覚がまったく曖昧になるような生活を送るようになって久しいが、最低でも週に1日は何もない日を作っておかないとやっぱりおかしくなる。外で講義をしたり、話をしたり、確かにそのことは僕にとってとても有意義で愉悦の時間ではあるのだが、自分を観たり(振り返ったり)、物事を考えたり、あるいは漫然と本を読んだりする時間を適当に確保しないと心身のバランス異常を来してしまう。そう、「ひとりになる」時間が適度に必要なのである。
瞑想を生活に導入するようになってからお陰様で体調も良く、睡眠時間も短くて済み、1日を充実して過ごせるようになった。午前中に所用がないときは必ずコーヒーショップで小1時間ほど読書をする。この時間がまた何とも至福。そう、あえて外に出て「ひとりになる」時間を確保するということがとっても素敵。
日中、周辺を歩いた。漱石山房(何と340坪の敷地に60坪の和洋折衷平屋建てだと!)を初めて訪れた。若い頃、有名な著作はほぼ目を通したが、10代の頃の知識や感性では理解できなかったことも多かろう。よくよく考えてみると夏目漱石は満49歳で亡くなっているのである。自分がほぼその年齢に迫りつつあるんだと発見し愕然とする。その後長らく彼が書いたものに目を通していないので、久しぶりに読み返してみたくなった。多分今ならもっと漱石先生の思考、例えば「則天去私」などを深く理解できるかもしれないな・・・。
漱石の作品というのは内容、文体ともそれぞれ異なり、しかもひとつひとつが相応の高みに達していることだと言われる。ベートーヴェンの9つのシンフォニーのよう。あるいは、ジャズの歴史そのものだと言われるマイルス・デイヴィスの活動そのもののようかも。どんな世界でも天才は新しきことにチャレンジし、そして新機軸を打ち立てる(それは後の世になってやっと認められる)。
菊地+大谷の「マイルス研究」を読み始めているが、最高に面白い。スピリチュアル系の書籍などと並行して読むとその面白さが一層倍加する。マイルスの生き方は、そして音楽は「精神世界」と直通だなと。そういうものは賛否両論というのが世の常。わからなければわからないで良い。わかる人が真底享受できればそれで良し。どちらの世界もそんな感じ。ちなみに、マイルス作品の場合、何よりバンドから巣立ったミュージシャンの顔ぶれの凄さをみれば、マイルスという人間が只者ではなく、ほとんど宇宙人的な存在だったということが即座に理解できる。そのうちのひとり、ハービー・ハンコックが70年代中葉、ファンキー路線を突っ走っていた頃の録音を。
これはジャズじゃないと言うべからず。挑戦なのである、これも。1曲目の”Doin’ It”、いきなり「秘密の世界」に(笑)。3曲目の”Cantelope Island”を初めて聴いたのはラジオで(オリジナルの方がより好みだけれど)。気に入って即音盤を求めた。傑作なり。(後にパット・メセニーらと演っているライブのバージョンもめちゃくちゃかっこいい)
“Gentle Thoughts”なんか、どこかで聴いたような・・・。あ、山下達郎の「甘く危険な香り」・・・(笑)
35年を経た今聴いても新鮮(いや、今聴いた方が新鮮に感じるのかも)。
おはようございます。
>わからなければわからないで良い。わかる人が真底享受できればそれで良し。
どんな学問でも芸術でも、人間に「わかる」ものなどひとつもないです。
みんな「わかったつもり」「知ってるつもり」になっているだけだと思います。
>雅之様
おはようございます。
このところの雅之さんの蜂の一刺しのようなコメント、達観の極みですね。
勉強になります。ありがとうございます。
[…] が心臓の鼓動と同化し、一気に心地良い気分に浸れる。これは子守歌である(先日、ファンキー”Cantaloupe Island”について触れたが、やっぱりオリジナル版の方が僕は好きかな・・・)。 […]