フリー・フォームに突入する直前の、いわば過渡期のジョン・コルトレーンの音楽は、聴き様によっては妙に抹香臭い。いわば人工的な「聖」なのである。
「至上の愛」は、世間一般では最高傑作と呼ばれるが、果たしていかに?
要は彼にも為す術がなくなったのである。同じ路線を継承すればマンネリと思われる、そのことを避けようととにかく思考した結果が無調に足を踏み入れることだったのかもしれない。
1957年に、私は神の恩寵により、より豊かな、より完全な、より実りある生活に私を導いてくれた霊的覚醒を体験した。そのとき私は、感謝の心とともに、音楽によって他の人たちを幸せにする手段と特権を与えてほしいとひそかに祈った。「オール・プレーズ・トゥ・ゴッド」(All Praise to God)こそ、神の恩寵によって私の願いがききとどけられた証しとなるものであろう。
(「至上の愛」オリジナル盤ライナーノーツ~「コルトレーンの生涯」スイングジャーナル社)
~「ジョン・コルトレーン―至上の愛」(講談社)P57
コルトレーン自身の言葉から察するに、彼自身は「至上の愛」はそれこそ霊的覚醒の延長線上に創造された代物だと位置付けていたのかもしれない。しかしながら、今の僕の感覚では、インスピレーションの発露は理解できるものの、これはどうにも理性的な、完璧な頭脳プレーによって為されたアルバムのように思えてならない。
絶対的なるものを形にするのは不可能ゆえ。
音に昇華した時点で、奏者がどんなに「聖なるスタンス」をとろうと、実に人間臭い、「俗的な音楽」からは決して逃れられないのである。
とはいえ、それのどこが悪い?
すべての芸術は、あくまで人間が作ったもの。だから楽しいし、また悲しいのだ。
“The Classic Quartet – Complete Inpulse! Studio Recordings”からの1枚。
巷間最高傑作と謳われる「至上の愛」(その他、「クレッセント」、「ベッシーズ・ブルース」、「ネイチャー・ボーイ」、「フィーリン・グッド」、「チム・チム・チェリー」が収録される)。
John Coltrane:A Love Supreme(1964.12録音)
Personnel
John Coltrane (bandleader, liner notes, vocals, tenor saxophone)
Jimmy Garrison (double bass)
Elvin Jones (drums, gong, timpani)
McCoy Tyner (piano)
テリー・ライリーが「インC」を生み出したその年にコルトレーンは「至上の愛」を創造した。様々な音楽的革命の蠢くロック音楽の世界でも21世紀の今も語り継がれる作品がいくつも生まれた。
そのひとつ、Dylanの”Times They Are A-Changin’”(「時代は変わる」―録音は1963年10月だが)。
さまよう人たちよ、回りに集まれ
水かさが増していることに気づくんだ
そしてもうすぐ骨まで浸み込む
もしあなたにまだ助かる時間が残されているなら
泳ぎ始めたほうがいい
さもないと石のように沈んでしまう
時代は変わっていく
ボブ・ディランは訴える。行動せよと。
なるほど、直接的でないにせよ、コルトレーンも時代の潮流に乗り、そして革新の道を進んでいったのかも。「至上の愛」以降、壊れてゆく(?)トレーンに関しては絶対的に信奉する人もあれば、離れる人もいた。聴衆の嗜好がどうあれ、コルトレーンは残された少ない時間をものにするべくとにかく泳ぎ始めたのである。
世界はすべて連関する。コルトレーンの「至上の愛」の4曲は、あまりに理性的過ぎるけれど、そうだとしても美しいことに違いはない。コルトレーンのサックスが冷たくうねる。
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久々に原点回帰。
コルトレーンに、特に捧げたい言葉です。
「自由とは、他者から嫌われることである」
「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです」
岸見一郎 古賀史健 著 『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)P162~163より
>雅之様
まさに!!
です。
ありがとうございます。今夜も少々シンクロ気味です。(笑)
[…] 識は救いようのないものだったのかも。 その言葉が発せられた来日公演の前、すなわち「至上の愛」録音の少し前までわかっているだけで4人の女性との交際を同時に続けていたというの […]