朝比奈隆指揮大阪フィル マーラー交響曲第2番「復活」(1987.4.26Live)ほかを聴いて思ふ

親愛なる友よ!
12月13日、ここベルリンでぼくの作品が演奏されることは、きみもきっと知っているだろうが、きみには特別そのことを知らせ、とくにこの機会にきみを迎えることができたらと、そんな希望を心底から述べないわけにはいかない次第。
そうできたら、なんと嬉しいことだろうか。それに、ぼくがぼくの聴衆のうちで素敵だなんて考えている人間は、きみのほかに、この世界に誰もいやしないと思っているのだが、きみもわかってるよね。—できたら、ねえ、きみ、ぜひ来てくれたまえ! もう一度言っておくがね、きみの知ってる3つの楽章は、作品の呈示部にすぎないのだ。最終楽章を知ることが、きみにはなにかといいのではないかと思っている。

(1895年12月初、マーラーよりシュトラウス宛)
ヘルタ・ブラウコップ編著/塚越敏訳「マーラーとシュトラウスある世紀末の対話―往復書簡集1888-1911」(音楽之友社)P63-64

ここでいう「ぼくの作品」とは、交響曲第2番ハ短調「復活」のことである。
盟友リヒャルト・シュトラウスに聴かせたいというマーラーの熱い思いが伝わる手紙だ。
しかし、このときシュトラウスはベルリンを訪問することなかった。丁重な、無念の思いを認めた返信も残されている。

それから1年数ヶ月後、シュトラウスはようやく交響曲第2番のスコアを読み、感激する。

親愛なる友よ!
「第2シンフォニー」(総譜とピアノ・スコア)を、親切にも送ってくれて、ありがとう。ぼくからみると、新しい最終楽章は、とても立派な構成だ! 作品全体を聴きたいものだ、いや、それよりも一度演奏したいものだ! ベーンのピアノ・スコアも、小じんまりした傑作だ。
久し振りに、きみからの消息をもらって、ぼくはとても嬉しかった。ぼくはときどき、きみが最初の「マーラー信奉者」をすっかり忘れてしまったのではないかと、考えていたよ。
心からの挨拶をおくる、いつも変わらぬ

(1897年2月22日付、シュトラウスよりマーラー宛)
~同上書P67

音楽性の異なる二人の天才の間に交わされた、本音のやりとりが実に興味深い。シュトラウスは、マーラーの「最初の信奉者」だったのである。

ところで、朝比奈隆が残したマーラーの交響曲は、第1番を除いたすべて。しかし、晩年はほとんどマーラーを採り上げなかったこともあり、録音は少ない。
僕は、朝比奈隆の第2番ハ短調「復活」を2度聴いた。
いずれも恰幅の良い、重厚な、ドイツ・ロマン派的名演奏だったことを思い出す。
1987年4月26日は大阪、ザ・シンフォニーホールでのマーラー。
第1楽章アレグロ・マエストーソから音楽は(マーラー自身の魂が乗り移るかのように)熱い。また、第2楽章アンダンテ・モデラートも、歌謡的な旋律を十分に歌わせ、楽器は鳴り切り、何とも気持ちが良い。興に乗るオーケストラは、後半、ますます本領を発揮する。
作曲者自身が自信を持ち、シュトラウスが褒めた、第4楽章「原光」に続く終楽章の圧倒的音響とコーダの熱狂に心が震え、涙さえ出るほど。この日、この瞬間、ザ・シンフォニーホールに居合わせた観客が羨ましい。

・リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
岡田英治(独奏ヴァイオリン)
久保田清二(オルガン)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1983.6.20Live)
・マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
豊田喜代美(ソプラノ)
伊原直子(メゾソプラノ)
武庫川女子大学音楽学部/関西学院大学グリークラブ
川本敬冶(副指揮・合唱指導)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1987.4.26Live)

一方、マーラーはシュトラウスの作品をどのように見ていたのか?
マックス・マルシャルク宛の手紙には次のようにある。

ヴィンガルトナーが小生の《第3》を王立歌劇場での上演に採用したことはご存知でしょうか? 《ツァラトゥストラ》についてのあなたのご印象をお聞かせいただければ幸いです。
(1896年12月2日付、マーラーよりマックス・マルシャルク宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P191

《ツァラトゥストラ》についてのご意見は小生にはたいへん貴重なものです。シュトラウス坊やが今度はEs管クラリネットに手を伸ばし、それが2,3の論考ではさも大胆な新機軸としてもてはやされたというのは、笑わせますね。やれやれ―この名誉は彼に差し上げておくことにいたしましょう。というのもそもそも小生にとっては、何を書くかということの方が、何の楽器のために音符を記すかということより、よほど重要だからです。
(1896年12月4日付、マーラーよりマックス・マルシャルク宛)
~同上書P194

ここに言及されるマルシャルクの「ツァラトゥストラ」に対する見解がどのようなものであるかはとても気になるが、それは残念ながらわからない。
ただ、少なくともマーラーは、シュトラウスの作品を認めつつも、やはり自分との相違、異質さを感じとっていただろうことが推測できる。

私は哲学的な音楽を書こうとしたのではないし、ニーチェの偉大な著作を音楽で描こうとしたわけでもない。音楽という手段によって、人類の発展を、その起源からニーチェの超人の観念に至るまで伝えようと試み、何よりもニーチェの天才への頌歌として作曲したのである。

作曲者のこの言葉に頭が下がる。
1983年6月20日は大阪、ザ・シンフォニーホールでのリヒャルト・シュトラウス。
ワーグナーを得意とする朝比奈隆ならではの、濃厚な「ツァラトゥストラ」!!
何という肯定感!
何という生命力!
ハ長調の序奏から、喜びに溢れる人類賛歌!
「癒えゆく者」の文字通り癒し、そして白熱の「舞踏の歌」に痺れる。特に第2部は朝比奈隆の浪漫に感応するオーケストラの魔法。実演で聴きたかった。

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