朝比奈隆指揮新日本フィル ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1989.2.5Live)

小林秀雄は、昭和11年(1936年)に発表した「文学を志す人々へ」というエッセイで、好きな作家ができたら全集を読めと、すなわち、その作家を本当に理解し、その人の生きた精神に触れるためには、代表作を拾い読みするだけでは足りず、全集を日記や書簡にいたるまで徹底的に読み込むべきだと語っている。

かつて僕はこの言葉に納得し、文学はもちろん音楽についても徹底的に聴くことを心に決め、実践した。ベートーヴェンについてもブラームスについても、すべての作品を蒐集し、可能な限り聴いてきた(だからこそメモ書き程度のものに過ぎない「音楽による戯れ」なども全部を聴いてみたいのである)。もちろん伝記の類、書簡、あるいは研究所も読んできた。
それは、作曲家の人となりだけでなく作品を理解する上でとても有効だったと思う。

フォークト バイエル ハウスマン エーベルハルト クノーテ合唱指揮ベルリン・ゾリステン ベートーヴェン 4声のカノン「そうあらねばならぬ」WoO196ほか(1977録音)

朝比奈隆が生涯随一と振り返った葬送行進曲。
昭和天皇崩御から1ヶ月後の演奏会のせいだろうか、インテンポで進む第1楽章アレグロ・コン・ブリオから従来の輝かしい音の咆哮は見出されず、哀悼の念の顕われだと思われる、くすんだ音色の、謙虚な静けさを誇る「英雄」交響曲に、僕は当日当夜涙した。
(これを超える「英雄」交響曲は後にも先にもなかったと僕は思う)

深い呼吸と重心の低い、貴重な、とっておきの音楽が、静かにうねる。
第2楽章「葬送行進曲」のフーガの頂点になるホルンは原譜通りでは(3番ホルン)1本だが、朝比奈は倍管にした6本全員で吹かせている。

6本のホルン全員で吹かせます。そのかわり木管も物凄く大きく。素晴らしいフーガですからね。時間にすれば2分ぐらいでしょうが、このあたりの音楽は凄いドラマですね。突然こんなものが出てくるのだから—あまり使いたくはないのですが、天才と言うしかないでしょうな。ここは近代的というよりはバッハのオルガン曲みたいな音楽だから、パイプを全開したような響きが欲しい。やっぱりオルガンの影響でしょうね。あの人はボン時代にオルガン弾いてたでしょう。
(金子建志「今回のチクルス録音における朝比奈のベートーヴェン観と、曲目についてのノート」)
~FOCD9001/7ライナーノーツ

朝比奈のベートーヴェンの重みはこういうところにも秘密があるのだが、このときの「英雄」はやはり一味違う。それこそバッハの崇高な宗教音楽のような、鎮魂の調べが聴こえるのである。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1989.2.5Live)

世間がバブルに沸いていたあの頃。
サントリーホールのある赤坂、六本木辺りではタクシーはまったくつかまらず、食事も贅沢に振舞い、振舞われ、社会人になって間もない僕の脳みそは随分狂乱の中にあったように思う。昭和から平成に年号が変わり、しばらくは歌舞音曲禁止という状況で、イベント業界にいた僕は、真面に仕事ができる様子がなかったけれど、音楽を聴くという趣味については一時も手放すことはなかった。

朝比奈隆指揮新日本フィル ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調作品36(1989.3.11Live) 交響曲第5番ハ短調作品67(1989.5.15Live)

いつも書くことだが、このときのチクルスこそが朝比奈隆のベートーヴェンの最盛期だったと僕は信じる。演奏そのものについてはもはや僕があらためて書くことはない。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む