ついつい・・・(苦笑)

10数年前まで”Rockin’ On”や「ミュージック・マガジン」を愛読していたが、ある時それもぱったりと止めてしまった。以来、ポピュラー系音楽の情報には俄然疎くなり、現在のアーティストの作品などきちんと聴いたこともないし、過去のものについてもリマスター盤がリリースされたなんていうニュースなどをオンタイムでキャッチすることがなくなってしまった。お蔭でロック音楽についてはほとんど浦島太郎状態。
たまたま渋谷のタワーレコードの3Fを覗いてみた。何と、マニア心をくすぐるKing Crimsonの40周年シリーズやPink Froydのデラックス・エディションが陳列されており、そのうちの1枚をついつい手に取ってしまった(苦笑)。
70年代クリムゾンの掉尾を飾る傑作”Red”。これまでも何度か形を変え発売されているから、何度購入したことか・・・。今回のバージョンには、”Red”のトリオ・バージョンなどのボーナス・トラックのほか、1974年のライブ映像DVDが付録でついており、一切の迷いなくレジに走ってしまった。ただし、日本版が5,000円近いのに対し輸入盤は3,000円弱。悩んだ挙句、輸入盤を選択(この差は大きい)。

帰宅後、早速件のDVDを・・・。いや、参った。若き日のロバート・フリップを中心にジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォード、そしてデイヴィッド・クロスの静かにして壮絶なパフォーマンスが・・・。「太陽と戦慄パート2」、「ナイト・ウォッチ」、「ラメント」、「スターレス」という4曲。しかも、1974年3月22日のフランスORTFでの放送音源(何と僕の10歳の誕生日)!!この映像を観ることができただけでこの音盤の価値は十分なのだが、一方で、いかにも1970年代初頭というセンスのない映像処理がどうにも気になっていただけない(余計な効果を加えないで4人の演奏シーンそのものをじっくりと観たかった)。

King Crimson:Red(40th Anniversary Series)

アルバム発表前日に突如解散を発表したCrimsonのラスト・アルバム。例えば、「白鳥の歌」である”Starless”の荘厳かつ悲哀に溢れる音楽が聴く者の涙を誘う。久しぶりに耳にしたが、真に名曲(実はクリムゾン・ファミリーで久しぶりに復帰したMel CollinsとIan McDonaldの泣きのサックス・プレイが素敵)。そして、強烈なエネルギーを放出するタイトル曲”Red”!!どこをどう切り取っても、「意味深い」音が脳天に突き刺さる。

先日、過去の音源のフォーマットを変更しての再発売物を手にするのはそろそろ終わりにしようと書いた矢先、ついついまた病気がぶり返した(苦笑)。ロックやジャズというポピュラー系の場合、クラシック音楽とはまた違って、その当時の新音源が付録でついていたりするのが厄介。特に、対象が好きなアーティストの好きなアルバムとなるとどうにも我慢ならない。

阿部俊郎さんの本日の記事を読んでいて「そうか!」と思った。
結局は、「いまここ」にいるのか「頭の世界」にいるのかだと。記憶に縛られず、「いまここ」にありたい。


7 COMMENTS

雅之

おはようございます。

クリムゾンのCD、興味深いです。特にこのジャンルは、クラシックと比べても全く無知に等しいので、いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。

私は、古い録音のリマスター音盤への物欲は、震災後から1〜2ヶ月でほぼ完全に無くなりました。
SACDは、音質的にも、LPの魅力にはまだ勝てないような気がしつつあります。
DVDはBDに、絶対的に画質が負けます。そのBDも、どこまで普及することか?

そして、結局、売り手側の巧妙な販売戦略にまんまと嵌るようなタイプの物欲に負けているうちは、AKBのCD大量買いヲタクと本質的に何ら変わらないと自覚したのも大きいです。

今は、過去何度挑戦しても果たせなかった禁煙に、ようやく成功したような?爽快な気分かもしれません(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>私は、古い録音のリマスター音盤への物欲は、震災後から1〜2ヶ月でほぼ完全に無くなりました。
素晴らしいです。僕も先日のフルトヴェングラーの「エロイカ」で痛感しました。HMVなどのレヴューを読んでしまうと、ルツェルンの第9も相当に音が良くなっている様子でついつい買ってしまおうかとも思っていたのですが、所詮演奏そのものは変わらないからということでやめました。SACDについてもDVD、BDについても同感です。

>売り手側の巧妙な販売戦略にまんまと嵌る

そう!これがもう見え見えですからね・・・。特にクラシック音楽については「いまここ」の実演が一番でしょうね。
ありがとうございます。

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雅之

音盤世界を除く別な場所(音楽ジャンル内であってもなくても、仕事でも趣味でもスポーツでも何でもよい)に飢餓感を見出し、そこに集中的に、とことんエネルギーを費やしてみるというのが、私の「音盤欲しい欲しい病」への効果的な治癒方法になりました。それが、おっしゃる「いまここ」にもつながってくると思います。

「実演を聴く」「楽器を演奏をする」というのは、当然現実的な対策としていいですよね。実演は、いつまでも「物」として残る「宝石」ではなく、「花束」とか「ご馳走」とかと同様、心に強く残っても「物」としてはすぐに消えてゆくかもしれませんが、それを言ったら、プラスチックとアルミ製のCDだって、たかだか数十年で朽ちる可能性が強く、宝石のような「永遠」には到底なり得ないのですから・・・。末代まで残す「お宝」としては、CDは失格でしょうしね。

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岡本 浩和

>雅之様
おっしゃるとおりですね。
別の何かにとことんエネルギーを注ぐというのは効果的だと思います。

>末代まで残す「お宝」としては、CDは失格でしょうしね。
同感です。
19世紀の人々同様、コンサート会場で真剣にその瞬間を体験するというのが本来の音楽の聴き方ですからね。
ありがとうございます。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » 何べんも繰り返して聴くことか・・・

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