幼年時代を夢想するあの感覚が呼び覚まされる

クロード・ドビュッシーの”Children’s Corner”。
どういう訳か邦題は「子供の領分」という。今や広く普く日本ではこのタイトルで通用しているが、日本語の収まりとしてどうにも居心地が悪い。
初めて僕がこの作品を聴いたときも、その音楽についてより、どうして「子供の領分」っていう名前なんだろう?それは何を意味するんだろう?と即座に疑問を持った記憶がある。
いつの時代かに誰かがそう呼ぶようになっていつの間にかそれが当たり前になっているのだろうけれど、その言葉を聞いてすぐに具体的な何かを想像するのは困難だ。

当時3歳の愛娘シュシュのために書かれたこの作品は、子供の頃に思いを馳せ、大人がその当時の気持ちになれるよう創作されたものだが、「子供たちのコーナー」とそのまま訳したほうが余程わかりやすい(ように僕は思う。それともこれだと少し間の抜けたタイトルになるかな?)。
それにしても、この作品は奥が深い。20世紀初頭の退廃感と未来的で革新的な音調が錯綜する。

黄昏時、山奥の高原には蜻蛉の群れ。東京ではおよそ見ることのない光景。”Children’s Corner”バックに1960年代と70年代のあの頃の思い出が蘇る。
日中の暑さはまだまだ続くがいよいよ秋の雰囲気に満ちる。

ドビュッシー:
・子供の領分
・版画
・ベルガマスク組曲
・ピアノのために
・レントより遅く
・前奏曲集第1巻~第8曲「亜麻色の髪の乙女」
・前奏曲集第1巻~第10曲「沈める寺」
・前奏曲集第1巻~第11曲「パックの踊り」
・前奏曲集第1巻~第12番「ミンストレル」
・練習曲集第2巻~第11番「重複するアルペッジョのための」
サンソン・フランソワ(ピアノ)

帰省中の手荷物の音楽はフランソワの「ドビュッシー集」のみ。
繰り返し耳にし、やっぱりサンソン・フランソワのドビュッシーは特別だと確信する。
フランソワの「子供の領分」を聴くと、ドビュッシーがこの曲集を子供が演奏するために書いたものではないことがとてもよくわかる。
このセンス満点の演奏はほろ酔い気分の大人が幼年時代を夢想するあの感覚を呼び覚ます。こいつは本当にすごい・・・。

さて、お墓参りが終わって明日東京に戻る。いよいよ明後日は“Music Door Academic~ドビュッシー生誕150周年記念リサイタル”に登壇。どんな話をするか、頭の中がドビュッシーのことでいっぱいだが、いつもの僕通り、その日その場の空気を捉えて、流れに任せることにする。良い会になるだろう・・・。

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