ポップな、あまりにポップなストラヴィンスキー。兵士の物語

ストラヴィンスキーの自伝「私の人生の年代記」を読むと、20世紀前半の大指揮者との交流から得た感想やその演奏スタイルの所感などとても具体的に言及されており、興味深い。なるほどイーゴリ・ストラヴィンスキーという作曲家は、当時、少なくとも僕が想像する以上に重要な位置にいた音楽家であったということだ。

別の公演では「火の鳥」が上演され、そこで私はリヒャルト・シュトラウスと知り合った。彼は舞台の上まで私に会いに来て、スコアにたいへん興味を示した。なかでも、彼の述べた次のような言葉が私をたいそう面白がらせた。「あなたの楽曲をピアニッシモで始めるのは間違いですよ。聴衆はあなたの音楽に耳を傾けなくなります。まず聴衆を大音量で驚かせるべきなんです。そうすれば聴衆はあなたのあとをついてきて、あなたは望む通りのことをやれます。」
P54

私はすでにディアギレフにピエール・モントゥー(たいへん残念なことに、ボストン交響楽団の指揮を引き受け、私たちと別れることを余儀なくされた)の後任として彼(アンセルメ)を推薦したし、彼の高次な音楽的才能、彼の指揮の確実さや彼の素晴らしい一般教養を高く評価してきたが、当時まだ私自身の作品の演奏家として、アンセルメについて最終的な判断を下すには至っていなかった。
P90

自作の「サヨナキドリの歌」の初演が、(1919年)12月6日、ジュネーヴで、スイス・ロマンド管弦楽団の定期演奏会のひとつで、エルネスト・アンセルメの指揮により行われた。新しい試みだと述べたが、・・・(中略)・・・この管弦楽的原理は、カデンツや、あらゆる種類のヴォーカリーズやメリスマに富み、トゥッティがむしろ例外であるようなこの音楽にまさにうってつけだった。あらゆる点で申し分なく入念に仕上げられたその演奏は私を大喜びさせた。
P101

当時不在だったレオポルド・ストコフスキーのかわりに私の伴奏をすることになっていた客演指揮者で、シンシナティにいたフリッツ・ライナーは当日の朝、到着し、夜のプログラムを準備するのにぎりぎりの時間しかなかった。指揮者たちが一般に数回のリハーサルで準備する私の「協奏曲」を練習するために、私たちにはわずか半時間しか時間がなかった。そして、真の奇跡が生じたのだった。ただひとつの汚点もなく、ライナーはこのオーケストラとずっと以前からこの作品を演奏してきたかのようだった。・・・(中略)・・・彼はスコアに頭を突っ込むのではなく、頭の中にスコアが入っていたのだ。
P141-142

私はヴィースバーデンへ行き、クレンペラーの指揮による交響楽演奏会に、独奏者(「協奏曲」)として参加した。私がこの素晴らしいオーケストラ指揮者と付き合ったのはそのときが初めてだったが、彼とはその後、しばしば共演する機会と喜びをもった。・・・(中略)・・・クレンペラーは、私の作品の献身的な伝播者のみならず、指揮棒さばきに秀で、鷹揚で率直な性格をもち、またとりわけ、作曲者の指示を注意深く辿っても、自分自身の個性を損なう危険はなんらないということを理解するのに十分なだけ聡明な指揮者だと私は感じた。
P147

トスカニーニはたいそう愛想よく私を迎えてくれた。彼は合唱団を招集し、そして私にピアノで彼らの伴奏をし、必要と思われる指示を与えてくれるよう頼んだ。マエストロが私のスコアをごく些細な部分まで深く認識していることや、自ら揺るぎない演奏を保証すべき作品を研究する綿密なやり方に私は驚いた。・・・(中略)・・・彼のリハーサルを1回見学するだけで十分だ。世界的な名声を得ているオーケストラ指揮者において、私はいまだかつて彼のような献身、良識、芸術的誠実さに出会ったことがない。
P151

パリに戻って(1928年)5月19日、私はブルーノ・ワルターの見事な指揮のもとで自作の「協奏曲」を弾いた。ワルターは類い稀な巧みさにより、私の務めをたいへん快適なものにしてくれた。つまり、彼と共演していて、私にはリズム的に見て危険なパッセージ―多くのオーケストラ指揮者にとっての躓きの石―を怖がる必要はなかった。
P163

錚々たる指揮者との共演がストラヴィンスキーにもたらした啓示は相当のものだったろう。
さて、第一次大戦末期、1918年に生み出された「兵士の物語」を聴こう。そう、大瀧詠一の「ナイアガラ・ムーン」に触発されたのだ(どういうわけかこの作品を思い出した)。しかも、だいぶ前に仙波知司さんからいただいていたデーモン小暮閣下などが出演した際物(?笑)が手元に。

ストラヴィンスキー:兵士の物語
指揮:斎藤ネコ
語り:巻上公一(兵士)、デーモン小暮閣下(悪魔)、戸川純(語り手・王女)
クラリネット:梅津和時
バスーン:小山清
コルネット:大倉滋夫
トロンボーン:村田陽一
パーカッション:高田みどり
ヴァイオリン:桑野聖
コントラバス:吉野弘志
シンセサイザー:石井AQ
効果音ヴァイオリン:斎藤ネコ
台本:加藤直(ラミューズ原作)

一聴、素晴らしいラジオ・ドラマ!!(笑)
インタビュー中で加藤氏も指摘しておられるが、この録音の最大のミソは語り手の3人の魅力にある(とにかく仙波さんのキャスティングの勝利である)。三者とも純粋な役者でなく、ミュージシャンでありながら役者もこなすという方々。それによって現れる(計算できない)微妙な距離感が見事だと。首肯(「『兵士の物語』録音を終えて」と題するこのインタビュー記事が滅法面白い)。

僕は第2部最後の大コラールの後の邦訳語りがとても気に入った。

巻上:教訓その1。今の幸せに昔の幸せを加えようとしてはいけない。
戸川:今の自分は昔の自分ではない。
デーモン:教訓その2。すべてを手に入れる資格はない。
戸川:幸せはひとつで十分。
デーモン:過ぎたるは及ばざるが如し。ということは、二兎を追うものは一兎をも得ずということだ。

「兵士の物語」について作曲者自身は次のように書く。

それで「兵士」の初演は私に申し分のない満足感をもたらしたが、それは音楽的観点からだけではなかった。舞台全体がそのまとまり、実際の上演の入念さ、完璧な調整、語調の的確さによって真の意味での成功だった。不幸にも、そのとき以来、同じレヴェルで私を満足させるような「兵士」の上演に立ち会ったことはない。

そういうストラヴィンスキーに仙波さんのこの「兵士」を聴かせてみたい。最高だ。

 


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