ファウスト的人間

liszt_faust_bernstein.jpg朝から雑務。会社の定款を変更するにあたり区役所で印鑑証明をとったり、片道20分ほどのところにある法務局の出張所を2往復したりと随分歩いた。昨日の突風を伴った雨で浄化されたのか随分空気が軽い。大久保通りを歩いていると、さすがに韓国人街だけあり、たくさんの焼肉屋が軒を連ね、道往く人々の言葉もハングルであったり、中国語であったりと異国を旅している気分に浸れるところが面白い。東京というところはほんとに人種の坩堝だなとあらためて実感する。

国家公務員の長期病休調査で何と63%が鬱病などの精神疾患だという結果が出たらしい。公務員に限らず、民間の企業でも同じようなものだろうと推測する。20年近く人材育成やカウンセリングに携わってきて思うのは、人間であれば誰もが「精神疾患」に陥る可能性を持っているということだ。それくらい人間の精神というのは強くない。人は皆、他者との精神的・物理的ふれあいを求めているものだが、子どもの頃からの環境や体験が原因でメンタル・ブロックを自ずと作ってしまい、多くの人が「孤独」な状況に置かれる。その「孤独」な状況を覆す手段がコミュニケーション、それも「親和」といわれる深いレベルのコミュニケーションなのだが、現代人は上っ面の交流は上手なものの、心のふれあいを伴った深い交流を苦手とする人が多く、人と一緒にいながら「孤独」になってしまっている。要は、そのあたりが「精神疾患」の遠因ではないかと思うのだ。会社での同僚や上司との関係、プライベートにおいても友人や夫婦、家族の関係などで、たとえ1日に数分であろうと心と心がつながるようなコミュニケーションをするよう心がけて欲しいものである。そうすれば一人一人随分楽になるはず。人は独りじゃないのだから。

リスト:ファウスト交響曲S108
ケネス・リーゲル(テノール)
タングルウッド祝祭合唱団
レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団

第1楽章 ファウスト
第2楽章 グレートヒェン
第3楽章 メフィストフェレス

いわゆるファウスト的人間とは、自己が世界の中心で、現状に満足せず常に進化を求め努力するヨーロッパ的人間のことをいう。世界は自己と対立するものであるという考え方だ。それに対し、東洋的な見方は「自己は世界の一部であり、互いに融合しあうものだ」という考え方。多くの日本人は戦後、あまりに思考や生活スタイルが西欧化しすぎ、本来持っているこの東洋的なものの見方を忘れ去ってしまっているのではないだろうか。自分の周りの全てのものが融合するものであるなら、もっと自然や人を愛し、自分自身をも愛することができるはずだから。人間はもともと「孤独」じゃない。自ら勝手に「孤独」にしてしまっているだけだ。

上記ファウスト交響曲は長大な交響曲で、第2楽章が特に美しい。ファウストと恋に落ちたばかりに破滅の道を歩んでしまった純粋無垢なクリスチャンの少女グレートヒェン・・・。

⇒旧ブログへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む