人が「幸せ」を感じるとき・・・

haydn_krips.jpg今週末は「早わかりクラシック音楽講座」。本当に早いもので22回を迎える。ちょうど2年前、退職を機に友人からクラシック音楽の聴き方を教えてほしいという依頼があったのがそもそもの始まり。音楽の専門的な勉強を一切したことがないからあくまで僕なりの観点(人間性や歴史的背景など)での拙い講義になると思うがそれでも良いかと尋ねたら一向に構わないという返事だったので二つ返事で引き受けた。
何でもそうだが、たとえプライベートな小グループでの集まりであれ、初めての催しは緊張する。1週間くらいああでもない、こうでもないと悩みながらも試行錯誤し、レジュメを作成した。それでもさすがに人前で話すことには慣れていたせいもあり、当日はお客様に随分楽しんでいただけたようで、ホッと胸を撫で下ろしたことを昨日のように思い出す。
それからほぼ毎月のペースでの開催。それにたいして告知宣伝をしているわけではないのだが、毎々10名前後の参加申し込みがあり、ちょっとしたサークル的なノリにもかかわらず楽しんでいただけているようで、僕としてもとてもやりがいを感じている。ともかく人に喜んでもらえるということがいかに人間の「生きがい」、「幸せ」、「癒し」につながるということか・・。

ところで、今回のテーマはチャイコフスキーの「悲愴」交響曲。クラシック入門者向けの極めつけの名曲。通俗曲と侮るなかれ。今日も2枚連続で聴いたが、どんな解釈であれ、やっぱり良い曲だ(ムラヴィンスキーの75年来日ライブ盤チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル盤という両極の解釈!)。特にこのムラヴィンのライブは壮絶!それに、チャイコフスキーの人となりについては勉強不足だったゆえ、伝記などを斜め読み。面白い・・・。彼の創る音楽はもちろん傑作揃いだと思うが、人間性などを知るとより一層面白く聴ける。こういう「聴き方」をぜひ参加の皆様に教えてあげたい・・・。

ちなみに、中で気になったエピソード。「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンは不滅の作品を靴屋が長靴を作るように」、「・・・彼らのように・・・毎日仕事をし、大半は注文で・・・」などと1890年頃の手紙に認めているチャイコフスキーは、当時流行の「芸術のための芸術」よりも、生きるための創作、委嘱に肯定的で、締め切りが決まっている委嘱作は、内的衝動からの自発的創作よりも、順調に進むと考えていたということ。
一理ある。喜んでいただける対象がそこにあるからこそ人間は頑張れるんだということか・・・。

ハイドン:交響曲第94番と長調「驚愕」
ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ハイドンの傑作交響曲集ザロモン・セットからの1曲。指揮者とオーケストラの力量も大いに影響しているのだろうが、こういう古典派の典雅な響きは世の中の燻った空気感を一気に慰めてくれる。クリップスに関してはそれほど音盤を漁って聴き込んだわけではないので詳細な言及は避けるが、このハイドンを聴く限りにおいては、重心がしっかりしながら軽快で前向きな明るさを前面に押し出した名演。特にこの「驚愕」は昔から名盤の誉れ高いCDらしい。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
クラシック音楽のビギナーだったころ、ハイドンの「驚愕」を聴いて、ちっとも「驚愕」せず、チャイコの「悲愴」の第1楽章展開部冒頭やマーラーの「悲劇的」の第4楽章のハンマーのほうが、はるかに「びっくり」だなあと思ったものでした。モーツァルトの「音楽の冗談」でも「冗談」と思えず、ショスタコやプロコフィエフの音楽ほうが、よほど冗談に思えました。
そして今、ハリウッド映画の超大作のVFXを見ても、ちっとも驚きません。人間の感性や想像力は時代や世代によって、大きく変化しますね。それは進化と同時に退化でもあります。
濃い味や刺激に慣れきった今、素朴なハイドンの素晴らしさを、改めてしみじみと感じます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
確かに「悲愴」の第1楽章展開部冒頭のほうが遥かにびっくりしますね。マーラーの第6の第4楽章ハンマーも然りです。
>人間の感性や想像力は時代や世代によって、大きく変化しますね。それは進化と同時に退化でもあります。
本当に「慣れ」って怖いですよね。「感性」、すなわち「自分らしさ」を見失わず、本質を見極めて生きてゆきたいです。

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