スキップ・センペのクープラン「室内楽作品集」を聴いて思ふ

couperin_sultane_skip_sempe181私は幻覚のような光景を目にしたのです。悪夢のような、恐ろしいほど無人で、音のない町を。・・・たぶん、私はもっと恐ろしく不快な光景を見ることになるでしょうが、この無音の恐怖ほど深く奇妙な感情をいだくことは決してないと思います。
(1916年4月付、ラヴェルからジャン・マルノールに宛てたはがき)
アービー・オレンシュタイン著/井上さつき訳「ラヴェル生涯と作品」(音楽之友社)P95

自ら志願兵となったものの、第一次世界大戦はあまりに悲惨な情景が広がったのだろうと想像する。そんな作曲者が戦死した友人たちに捧げようと生み出したのが組曲「クープランの墓」。1919年4月11日のマルグリット・ロンによる初演は熱狂的に迎えられ、組曲全体がアンコールされたほどだったらしい。

18世紀の大作曲家、フランソワ・クープランへのオマージュ。
クープランはルイ14世に仕えた、フランス音楽史上最大の音楽家の一人だが、時を下ってフランス革命の頃、ルイ16世を尊敬しながらも結果的にこの王の死刑を執行せざるを得なかった人がシャルル=アンリ・サンソン。サンソン家の4代目である。

死刑制度は間違っている、とシャルル=アンリは声を大にして叫びたかった。人の命は何よりも尊重されねばならない。人の命を奪うというのは大変なことだ。死刑制度には、人の命を奪うという、この重大事に見合うようなメリットが何もない。犯罪人を社会から除去したところで、ただ一時的な気休めになるだけで、犯罪を生み出した社会のゆがみが正されるわけではない。それに、人の命はもともと神から与えられたものであり、人の命について裁量できるのは、神だけなはずだ。
安達正勝著「死刑執行人サンソン」(集英社新書)P237

シャルル=アンリが行き着いた世界。職務として死刑を遂行しながら死刑廃止を訴えるという矛盾。全人類の本性が抱えるジレンマがここに集約されるよう。このゼロ的思考に僕はあらためて共感を覚える。

ところで、フランソワ・クープランの室内楽作品集。この人の音楽の根底に流れるものは哀しみだ。それは、王侯貴族の悲哀か、あるいは一般庶民の嘆きか、それはわからない。わからないものの、ここに在るのは「調和」。シャルル=アンリが訴えかけようとした真実と同質のものが在るようだ。

クープラン:室内楽作品集
・四重奏ソナタ「サルタン」
・ヴィオールと通奏低音のための第1組曲
・ヴィオールと通奏低音のための第2組曲
・「子守唄」
・「荘厳さ」
ジェイ・ベルンフェルド(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
スキップ・センペ(指揮&チェンバロ)カプリッチョ・ストラヴァガンテ(1993録音)

絶対王政と民主主義の狭間にあるような、とても人間的な音楽。時を超え、モーリス・ラヴェルが触発されたのも頷ける。ベルンフェルドの得も言われぬ恍惚のガンバ。これほど純粋でありながら色香に満ちる響きは稀。
フランソワ・クープランの音楽は真に奥深い。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む