僕のブルックナー体験の原点のひとつであるラファエル・クーベリックの第4番「ロマンティック」交響曲を携えての逍遥。大自然の中で聴くブルックナーは格別だ。
真っ青な空と白い浮雲との対比。鳥の声、川のせせらぎ。樹木のざわめき。すべてが絵に描いたように一体となり、崇高な音楽を喜びのうちに迎えるよう。
変ホ長調交響曲は流麗な旋律の美しさと、楽想のとっつきやすさという点でブルックナーの諸曲の中ではぴか一。しかも、録音環境も手伝ってか、クーベリックのこのスタジオ盤は脱力の賜物で、この音楽を知るうえで最右翼のものだろうと僕は考える。金管の彷徨も無理がなく、有機的な響きを保ち、木管の調べも極めて柔らかく、しかも弦楽器の豊潤な響きが魂をもくすぐり、聴く者を「幸せの世界」に誘ってくれる。
テンポ、アゴーギク、楽器のバランス・・・、これらはスタジオであったからこそ為し得たことなのか、それはわからないが、理想的なブルックナーであることは間違いない。30年以上の時を経てもこれにきっぱり対抗できる音盤は僕の中で見つからない(若い頃に繰り返し聴いた刷り込みはたぶんにあるだろうが)。
怒涛のフィナーレを聴きながらふと思った。
この交響曲はベートーヴェンの「田園」交響曲と対応するものだろうと。つまり、最初の楽章と終わりの楽章は鏡であり、ついでに言うと冒頭楽章の昇華された姿が終楽章なんだと。初めに聴かれた「自然」はついに「神」へと次元を上昇し、喜びと祈りのうちに幕を下ろす。
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ノヴァーク版)
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
第2楽章は自然の語りかけ。軽い様相でありながら、実に奥深い。
第3楽章は庶民の舞踏。日常の抑圧を解放するかのような目覚めの音楽。
そしてついにフィナーレにおいて調和を果たす。
なるほど、この内にはモーツァルトの精神も宿るということだ。
西洋古典音楽史においていずれも孤高の存在であるモーツァルトとブルックナー。ある意味同じ穴の貉ということか。
岐阜県恵那市での「早わかりクラシック音楽講座」を無事終える。
少しばかり理屈っぽくなってしまったが、たくさんの方々にモーツァルトの音楽に興味を持っていただけたようで良かった。
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