人と人とがわかり合うのに、厳密に言葉は不要。もちろんあるに越したことはないが、そのお蔭で誤解を生んだり、障害になることも・・・。
ふと思う。
僕たちは言葉をこねくり回す。飾って、守って、ついに言葉の魔法にがんじがらめになる。言葉で説明などし切れないのに、相手に負けじと頭を駆使する。
モーツァルトの音楽はシンプルだ。必要最小限の音で最大の効果をもたらす音楽を彼は創造した。
初期のピアノ・ソナタなど本当に可憐で愛らしく、どんな演奏で聴いても若きモーツァルトの純真な心が手にとるように感じられる。ただし、若書き、というかひねりが少ない(?)分そうしょっちゅう耳にしたいと思うことは少ないのも確かで、彼のソナタ集の中でも僕が選ぶ率は低い。
しかしながら、鳥羽泰子の演奏を聴いてひっくり返った。形式の上でモーツァルトの枠を逸脱することはない。とはいえ、音楽が縦横に飛翔し、七変化の様相を示すのだからどうにも愉しくて、思わず繰り返し取り出してしまう。K.280のアダージョなどバッハに匹敵する深みを湛えるが、そんなことに気づかされたのもこの人の演奏に出会ってから。
そして、僕が愛してやまないK.282の何と思索的なことよ。考えるモーツァルトがここには在る。さらにK.283の喜びの背後に迫る哀しみをこれほどまでに見事に表現した演奏は他にあったのか・・・。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集第1巻
・ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279(189d)
・ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280(189e)
・ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281(189f)
・ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調K.282(189g)
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283(189h)
鳥羽泰子(ピアノ)(2004.10.6&7録音)
晩年の哲学的高みにまで達した崇高な作品群と単純に比較することはナンセンス。特に得意としたピアノ・ソナタというジャンルにおいては。それにしても、10代のモーツァルトは30代のモーツァルトと何ら変わらぬ天才を発揮する。
ちなみに、K.281のアンダンテ楽章の、ひとつひとつ丁寧に歩を進めてゆくような音楽運びは不思議な憂いを表出し、続くロンド楽章において精神が飛翔する様を見事に表現する。
こうなるとどうしても鳥羽泰子のモーツァルトを実演で聴きたくなる・・・。
さて、いよいよ明日は岐阜県恵那市での「早わかりクラシック音楽講座」。
言葉少なく、できるだけモーツァルトの音楽に語ってもらうことにしようか。
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