ムラヴィンスキーのモーツァルトK.299&K.319を聴いて思ふ

mozart_299_319_mravinsky現実生活の中にいると身を中庸に置くなどというのはなかなかできない。つい「判断の罠」に陥ってしまう。モーツァルトですらそうだ。パリ旅行時の父レオポルトに宛てた手紙。

パリの泥んこ道を、馬車で4,5リーブルかけて行くと、無駄遣いに終ります。みんなお世辞たらたらで、それでお終いですからね。これこれの日に来いというので、出かけて行って演奏すると、声がかかる。「ああ、これは奇蹟の天才だ。信じがたい。驚きましたな」。これで、はいさよならです。それが何度もあり、どんなに不愉快なことか、ここにいる人でなければ信じられないでしょう。要するに、パリはすっかり変わってしまいました。
~1778年5月1日付手紙(高橋英郎著「モーツァルトの手紙」

時代はフランス革命前夜。貴族に雇われていた音楽家の立場がいかに大変だったか、あるいは逆に当時の世の情勢がいかに貴族たちにとって戦々恐々たるもので、どれほど彼らに余裕がなくなっていたのか・・・。

とはいえ、そんな状況においても音楽を創造するとなればヴォルフガングは天才を発揮した。ちょうど同じ頃に書かれた「フルートとハープのための協奏曲」など、この上なく典雅で愉悦に溢れ、メロディに富んだもの。「音楽をする」ということはすなわち「神とつながること」と同義のようだ。

ムラヴィンスキーのモーツァルト。「人間にとって音楽は、どうしても必要なものではない。しかし、音楽がないことは不幸なことだ」と言い切る彼のモーツァルトは、少なくとも録音で聴く限りどこか醒めており、愉悦というより作曲当時のモーツァルトの本心が反映されるかのよう。

モーツァルト:
・フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299(K.297c)(1983.3.15Live)
・交響曲第33番変ロ長調K.319(1964.2.12Live)
ボリス・トリズノ(フルート)
エレーナ・シニツィナ(ハープ)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

当時のレニングラード・フィル奏者の力量が一聴明白なK.299の名演奏。2つの楽器のソロが実に温かいのである。これこそアマデウスの愉悦!!まさに正月に相応しい雅な響き!!

1973年3月24日付ムラヴィンスキーの日記。

私はいつも生には執着しない、私は何もいらないと考えていた。だが、それは嘘だ。生に執着する、まるで若者のように。表面が凍った心の層や、体や、弱りきった心臓が私そのものなのに、まだ生を受けていないかのように生活し、執着し、嗅ぎ、見、聞きたいと燃えるような渇望を抱く。
河島みどり著「ムラヴィンスキーと私」P171

その音楽からは見えないこういう本音がムラヴィンスキー芸術の真髄か・・・。そして、これらの言葉はモーツァルトのそれにまったく通じる。聖なる音楽を操る人たちといえども聖人君子などではないということ。弱みがまた音楽を一層感動的なものにする。
ザルツブルク時代最後期に書かれたK.319は可憐で美しい。でもどこか寂しく哀しい(第2楽章でふっと浮き上がる木管の調べなど)。ムラヴィンスキーならでは・・・。

 


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