アラウ&コリン・デイヴィスのベートーヴェン「皇帝」ほかを聴いて思ふ

beethoven_concertos_arrau_davis070クラウディオ・アラウの老練のピアニズムもさることながら、この演奏の凄さはバックを務めるサー・コリン・デイヴィスの完璧なまでのホスピタリティに近いサポートによるところが大きい。
呼吸が深いと言えば深いのだが、しかし鈍と言えば鈍だと言えるアラウの重い解釈に、素直にかつ正しく、そして決して出しゃばらないオーケストラの妙味にまずは舌を巻く。
第1楽章アレグロ冒頭、オーケストラのトゥッティの有機的な響きに感応し、そして続くピアニストの音楽性溢れるカデンツァに釘づけ。ここから楽聖の崇高な音楽が、実に密に具現化されてゆくのだが、何とも素晴らしいのが再現部の、それまでどちらかというと謙虚な姿勢でピアノに対峙していた独奏者の、ここぞとばかりの自己主張に思わず拍手喝采。
ここでのアラウは決して枯れてなどいない。音楽家は、芸術家は何歳になってもエネルギッシュで、しかも自我こそずべてだと言わんばかりの旺盛さでベートーヴェンをいわば料理してゆくのである。

第2楽章アダージョ・ウン・ポコ・モッソの穏やかな響きは愉悦の象徴。ここもやはりコリン・デイヴィスの音楽作りの力が大きい。それに引き摺られるように奏でられるアラウのピアノも、他の誰の演奏にも比して大らかだ。

ベートーヴェン:
・ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(1984.11録音)
・アンダンテ・ファヴォリヘ長調WoO.57(1984.10録音)
・創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80(1985.10録音)
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
サー・コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン

フィナーレの堂々たる足取りも、おそらくデイヴィスの真骨頂。ますます透明になるアラウのピアニズムを包み込むようにオーケストラは静かに唸り、咆える。

ハイリゲンシュタットの遺書以降のベートーヴェンはやはり只者ではない。
再現者も素晴らしいが、何よりこんな音楽を創造し得た楽聖の音楽的技巧と精神性に感謝したくなる。

付録の「アンダンテ・ファヴォリ」の何という可憐さ。老大家であるがゆえに成し遂げることのできた無骨でありながら極小の表現とでも表現しようか。
そして、変奏曲ハ短調の、いかにもベートーヴェン風の主題に心奪われ、その後の一つ一つの変奏に涙する。ここでもアラウの腕は人語に落ちない。

 

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