ところで、「女性の愛による救済」を永遠のテーマにしたのはワーグナーである。その晩年にはショーペンハウアーの影響下に、人類の退廃および再生を論じ、共苦の思想を表明した天才芸術家である。
今日は、その最後の作にして最高傑作(かどうかは賛否両論だが)である舞台神聖祭典劇「パルジファル」を聴く。もちろん、全てを一気に聴く時間も余裕もなかったので全曲盤から抜粋。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
スピーカーを前に姿勢を正してマジで聴くならクナ盤だが、物理的にも精神的にも忙しい中、BGM的に聴くならカラヤン盤。というわけで、絶対無二のクナッパーツブッシュ指揮1962年バイロイト・ライブではなく、あえて嫌いなカラヤン盤をCDトレーに乗っける。
この楽劇は第1幕前奏曲や聖金曜日の奇跡など、有名な楽曲はあるのだが、非常に宗教色が強く(キリスト教の救済思想を色濃く反映している)そのあらすじ等を含め内容を理解するには「聖杯伝説」や「キリスト教の伝説」などに長けた知識をもってしても難しい。
終幕の最後では、合唱が「救済者に救済を!」と歌うのだが、ここの解釈は様々。
ウィキペディアによると『「救済者」とは、彼らを救済したパルジファルのことであろうか、それとも、イエスその人であろうか、または作曲者のワーグナー自身であろうか、といった解釈が考えられる。また、「救済」そのものについても、各種の説がある。例えば、救済ですべてが解決するのではなく、救済者もまたいずれ救済を必要とするようになるという「運命論」的考え方がある。』らしい。
作品について論じると深みにはまっていくのでこれ以上は止めておく。
しかし、ワーグナーその人は、といえば、どうしようもない男だったらしい。人格は最悪、自己中心的で平気で嘘もついたということ。しかも金銭面でもルーズ、かつ強烈な自信過剰男で、自分を天才だと公言し、音楽史上自分より優れているのはベートーヴェンだけだと言っていたらしい。というわけで「女性の愛による救済」というのも彼の視点から捉えると単なる「男尊女卑」的な思想からきているものに思えてならない。「自分勝手、わがまま、どんな最低な自分でも受け入れろ」と女性に訴えかける自己中心的な願望に過ぎない、と考えることもできる。
ともあれ、後世の我々にとっては作品そのものだけに接するわけなので作曲家が最悪だろうと何だろうと直接交わるわけではないのでその辺は許すことにする。その音楽はとにかく最高だから。
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[…] 「ワーグナーの毒」という言葉があるようにハンス・クナッパーツブッシュの生み出す音楽にも「毒」がある。今となっては常時聴くことのない録音たちだけれど、一たび聴き始めると全身にそれが廻り、容易には抜け出せなくなる。 ある時期、クナッパーツブッシュに惚れ込み、凝った。当時リリースされていた音盤はことごとく追い求め、手にした。とはいえ、ここ数年はまったく・・・(最近どんな新発見録音が発掘されたかなどは知らない)。 しかしながら、正規録音のワーグナーを聴き、実況録音盤をいくつも聴き、彼の芸術に触れれば触れるほどその圧倒的な音作りに畏怖の念を覚える。ベートーヴェンやらリヒャルト・シュトラウスやら、あるいはお得意のブルックナーやら・・・。 […]