ギュンター・ヴァントの”Live in Japan 2000″を観て思ふ

live_in_japan_2000_wand_dvd私にわかるのはただ一つ、私が指揮させてもらっている偉大な音楽は、一つの模範であるということなのです。それを作り出したのは偉大な人々ですが、彼らは性格も生き方もそれぞれ異なります。それは、アントン・ブルックナーをリヒャルト・シュトラウスやヨハネス・ブラームスと比べてみただけでもわかるでしょう。彼らはまったく違う人間です。しかし、一つ共通するところがあります。彼らはいずれも、人々を上へと導いてゆく何かを創り出しているのです。
「ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い」(ヴォルフガング・ザイフェルト著、根岸一美訳)P371

厳しいリハーサルを繰り返し、至高の音楽を築く指揮者の言葉は真に重い。音楽こそ「上」、すなわち「神」へとつながるための媒介なのだと。ヴァントが言うように、確かに作曲家により作品の性質はまったく異なる。しかし、残された音楽に共通するのは「愉悦」であり「哀惜」であり、あるいは「祈り」であり「癒し」であり、そして「悟り」でもあるのだ。

2000年秋の来日公演についてはもちろん忘れない。あの時の空気、雰囲気、緊張と恍惚と、演奏の静寂と崇高さと、さらには終演後の(自分を含めた)聴衆の怒涛の拍手喝采と、そのすべてをはっきりと憶えている。久しぶりに映像を再視聴し、「自らを消し去った純白のパフォーマンス」に音楽に仕える職人ギュンター・ヴァントの謹厳実直さを痛感した。

下手をするとあっという間に凡演と化すシューベルトの「未完成」のこの上ない美しさ、目を見張るばかりの繊細さと一音一音に根付くこれほどの意味深さをあれ以前もあれ以降も僕は聴いたことがない。おそらく僕の人生において「未完成」交響曲はこれで打ち止めのはず。

ライヴ・イン・ジャパン2000
・シューベルト:交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(原典版)
ギュンター・ヴァント指揮ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(2000.11.13Live)

wand_live_in_japan_200011ブルックナーの9番についても同様。この時の演奏は、感覚を超えた「悟性」を刺激した。さすがにそこまでは録音には入っていない。あくまで体験の追想のためのツールに過ぎない。あの時の感激を何と伝えればいいのか・・・(とはいえ、第1楽章コーダの、まさに上へと導かれる音楽の様は音と映像からでも随分体験できる)。僕の内にある言葉ではまったく表現不可能であるゆえ、先の書籍からヴァント自身の言葉を借りることにする。

初期の交響曲に比べて「第9」の音響像がもついっそう強固な険しさは、聴き手に違和感をもたらすこともあるだろうが、ポリフォニックな声部進行を最大限に徹底したことによる帰結なのであり、初めて耳にするときには当惑を覚える人がいるかもしれない。それはこの世からの離脱と内的真理の表現なのであり、彼岸の輝きをもった多くの恍惚とした幻像に呼応して、途方もなき不協和音さえも分節することができる力をもつのである。失われたパラダイスに対する人類の嘆きが、すべての時の終わりに至るまで鳴り響いているかと思われるようなこの恐ろしい叫びは、自分からは何ら解決も、融和も見いだすことができない。この後に静けさが続く、そして、信仰の安らぎへと思いが向けられてゆく。音響は素材から解き放たれるように見える。そして音楽の脈動は今や「ノン・コンフンンダル・イン・エテルヌム(われ永遠におじまどうことなからん)」の確信のうちに浄化された結末を告げるのである。
P259-260

ブルックナーの第9が未完成でなければならなかった理由がここに示される。この言葉の体現こそあの演奏だったということだ。
ちなみに、チケットは¥19,000(S席)だったが、何だか随分安いように感じる。

ギュンター・ヴァント102回目の誕生日に。

 


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5 COMMENTS

畑山千恵子

私も聴きに行きましたね。ヴァントはステージ・マネージャーに支えられててできました。朝比奈さんは自力で出てきました。とはいえ、朝比奈さん、ヴァントの音楽は素晴しかった。音楽がキチンと響いていましたね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
いらっしゃいましたか!!凄かったですよね。そうそう、ステマネに支えられて出て来ても指揮台に立つと矍鑠として大変な音楽が流れて来まして・・・。
朝比奈先生のはもう何度も聴いておりますが、名古屋の最後の演奏会が聴けなかったのが痛恨事です。
あの時はあまりに壮絶で見ていられなかったという声も聞かれますが。

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] ギュンター・ヴァントのブルックナー8番が実演で聴けなかったことは人生の痛恨事。年を経るにつれ彼の音楽は透明を極め、何ものも介在しない純粋かつ絶対の音楽がいつも僕たちの前で鳴り響いた。例えば、今もってブルックナーの9番は、オペラシティコンサートホールで体験した最後の来日演奏会のパフォーマンスが最美。 […]

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岡本浩和の音楽日記「アレグロ・コン・ブリオ」

[…] オットー・クレンペラーのブルックナーは、とても人間的だ。 重心の低い、どっしりと揺るがない造形が、ともすると宗教的で崇高な印象を喚起するが、じっくり聴けば聴くほど、内側から湧き出るパッションと、血の沸き立つ豪快なパワーに圧倒される。 ちなみに、逆の意味で、(人間世界を超えた)崇高な宗教体験のようだったのが、2000年11月のギュンター・ヴァント最後の来日公演での交響曲第9番。第1楽章コーダの、あれほどの昇天するような幻視(幻聴?)体験は後にも先にもない。 […]

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