哀悼の意を表し、アバドのマーラー「第8交響曲」を聴く

mahler_8_abbado_bpoクラウディオ・アバド氏が逝った。享年80。昨秋のルツェルン祝祭管弦楽団との来日公演が直前にキャンセルされていたこともあり、もしやとは思っていたけれど・・・。

残念ながら僕はアバドの優良な聴き手ではなかった。ベルリン・フィルのシェフに就任した時もどこか「?」を持っていたし、その後の幾度もの来日公演にも食指が一向に動かなかったほど。これにはもちろん先入見や若い頃に接した「出鱈目」の批評の影響もある。カラヤンの場合と同様一期一会の大切な機会を永遠に逸してしまった。

とはいえ、マーラーに限っては違っていた。そう、僕が最初にアバドを聴いたのは、フレデリカ・フォン・シュターデを独唱にウィーン・フィルと録音したあのチャーミングで美しい第4交響曲。あれで即打ちのめされた。この演奏はいまだに僕の座右の盤であり、少なくともマーラーのこの曲においては後のアバドですら超えられなかった「理想」があると信じている。

イタリア人である彼がどうしてそうなのかはわからないが、おそらくマーラーには相当なシンパシーをもっていたのだろう、音の隅々にまで愛が溢れ、しかも一見真面目なようで「のりしろ」、すなわち「遊び」の部分があり、聴いていてまったく疲れない。いや、疲れないどころか、またもう一度聴いてみたいと思わせる麻薬のような作りであることが僕を虜にした大きな要因だった。

追悼の意を表し、ベルリン・フィルとの実況録音による第8交響曲を聴いた。
宇宙、森羅万象がひとつとなり、自然と人間とが同じく一体となる、その様を音化したこの巨大な作品は聴くたびに新たな感動をもたらしてくれる。

天使の合唱:
霊界の高貴なひとりが
悪から救われた。
どんな人間にせよ、絶えず努力し励むものを
わたしたちは救うことができます。
そのうえにこの人には天上からの
愛が加わったのですから。
至高の幸に祝福された天上の群れが
心から歓んでこの人を迎えるのです。

マーラー:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
シェリル・ステューダー(第1ソプラノ、罪深き女)
シルヴィア・マクネアー(第2ソプラノ、贖罪の女のひとり)
アンドレア・ロスト(第3ソプラノ、栄光の聖母)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(第1アルト、サマリアの女)
ローゼマリー・ラング(第2アルト、エジプトのマリア)
ペーター・ザイフェルト(テノール、マリアをたたえる博士)
ブリン・ターフェル(バリトン、法悦の神父)
ヤン=ヘンドリク・ローテリング(バス、瞑想の神父)
ベルリン放送合唱団
プラハ・フィルハーモニー合唱団
テルツ少年合唱団
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1994.2Live)

2000年に大病を患って以降のアバドの音楽は激変した。ほとんど「空(くう)」ともいえる神妙な瞬間をたくさん聴衆に届けてくれたが、いわゆる最も脂が乗っていた頃の彼の音楽も決して悪くない。エネルギーがほとばしり、何より勢いがある。と同時に、この大人数の奏者を一手に束ね、壮大な音楽ドラマを創造する力量に舌を巻く。

最後の神秘の合唱の神々しさよ。

すべて移ろい過ぎゆく無常のものは
ただ仮の幻影に過ぎない。
足りず、及び得ないことも
ここに高貴な現実となって
名状しがたきものが
ここに成し遂げられた。
永遠の女性、母性的なものが
われらを高みへと引き上げ、昇らせてゆく。

ご冥福をお祈りします。

※太字訳詞はWikipedia参照。

 


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