ミンコフスキのオッフェンバック「地獄のオルフェ」を聴いて思ふ

offenbach_orphee_aux_enfers_minkowski表と裏、本音と建前、真実と虚像が交錯する。人間が作り出した「社会」というものの極めて痛烈な風刺。
登場人物(神々?)それぞれに思惑があり、それらが実に面白く、かつ上手に編み上げられる人間模様。
もうひとつのオルフェオの物語。「地獄のオルフェ」、通称「天国と地獄」。
第1幕第2場オリュンポスのシーン、フィナーレではオルフェがジュピテールにユーリディスの幽閉される地獄へ連れて行ってほしいと懇願する。

オルフェ:僕のユーリディスが奪われてしまったのです。犯人はプリュトンです。

そして、ここで彼は、グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」第3幕から有名なアリア「エウリディーチェを失って」のメロディを口ずさむ。

エウリディーチェなしに、私はどうしたらいいだろう?
いとしい人なしに、私はどこへ行ったらいいだろう?
エウリディーチェ、エウリディーチェ!
おお、神よ、答えておくれ!
私はいつもお前の誠実な夫だった!
(訳:鈴木松子)

何という欺瞞。
こんなのは建前。夫婦仲は実際冷え切っており、むしろユーリディスがいなくなったことに喜びさえ感じているオルフェなんだ・・・。
モンテヴェルディやグルックのケースと異なり、最終的にこのオペレッタではオルフェとユーリディスが結ばれることはない。オルフェが禁を破ったお蔭でユーリディスは再び天に召され、バッカスの巫女となり、幸せに暮らす。オルフェもユーリディスと正当に(?)別れることができてやれやれ。実に元に戻らないことこそがハッピーエンド。(笑)
結果がどうであれ、皆が幸せならそれで良しということだ。

オッフェンバック:喜歌劇「地獄のオルフェ」(ミンコフスキとペリーによる1858年&1874年折衷版)
ナタリー・デセイ(ユーリディス、ソプラノ)
ローラン・ナウリ(ジュピテール、バリトン)
ジャン=ポール・フシェクール(プリュトン、テノール)
ヤン・ブロン(オルフェ、テノール)
世論(エワ・ポドレス、メゾ・ソプラノ)
パトリシア・プティボン(クピード、ソプラノ)
シャルマン・プレスナー(ヴァイオリン独奏)
マルク・ミンコフスキ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
グルノーブル室内管弦楽団(1997.12Live)

作曲家が自作や他の作曲家の作品を引用するというのはよくある方法だけれど、物語そのものがブラック・ユーモアを交えてパロディ化された例はこの他にもあるのだろうか?オッフェンバックの天才的な音楽の力と相まって本当に楽しい(しかも実際にどこにでもありそうな)ドラマが繰り広げられる。

あの有名な序曲こそ省かれているが、1858年10月、ブッフ・パリジャン座での初演の様、喧騒と狂乱と、そして愉悦の様が見事に表現されており、その軽快で推進力のある音楽作りはミンコフスキの独壇場といったところ。実際の舞台を観たいと心底思った。

 


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