聖なるものと俗なるもの

フランシス・プーランクの音楽というのはどうも軽いものだと長年思っていた。今にして思えば勘違いも甚だしいが、昔、彼の何らかの作品をほんの少しだけ聴いてみて独断と偏見でそのように判断したのだと思う。この「少しだけ」というのがミソ。大して知識もないまま表面的なあたりだけで決めつけるべきではない。
あの頃はどんな風に感じたのか?
例えば、ルロイ・アンダーソン。どちらかと言うとポピュラー寄り、すなわちイージー・リスニング的な、そういう印象。

そんな状態の中、ジョルジュ・プレートルの指揮する「グローリア」他を耳にして俄然考え方を改めさせられた。20世紀中盤の音楽とは思えない聴き易さと、しかしながら、決して保守的とは言えない独自の音楽語法が明滅するところに一気に心惹かれる。

プーランク:
・グローリアト長調(ソプラノ、合唱、管弦楽のための)
・スターバト・マーテル
バーバラ・ヘンドリクス(ソプラノ)
フランス国立放送合唱団
ジョルジュ・プレートル指揮フランス国立管弦楽団

「グローリア」はセルゲイ・クーセヴィツキー財団から委嘱されたもので、1959年に完成、1961年1月20日にシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団によって初演されている。輝かしいばかりの音楽と静けさに充溢した音楽の対比。聞くところによるとヴィヴァルディの同名の作品にインスパイアされたという。なるほど、そういわれるとバロック的でもある。
続く「スターバト・マーテル」。1949年に亡くなった友人の、画家・舞台装置家だったクリスチャン・ベラール追悼のために書かれたもの。敬虔な祈りだ。それでいてここには人間的なドラマが存在する。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」にも似た手法と流れと。実に感動的!!

ところで、プーランクはバイセクシャルだったのだと。「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲは恋人の一人だが、わずか20歳で夭折した類稀な詩人の何歳の時に関係があったのだろうか?
聖なるものと俗なるものが混合するプーランクの芸術の深層にはそういう体験があってこそのものだろうとほんの少し納得した。この辺りの事情真に興味深い。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

プーランクは室内楽についてはCDをいくつも持っていて結構親しんでいるのですが、宗教曲は未聴ですし、一度や二度CDを聴いただけで簡単に語れるものもないだろうとも想像しています。

久しぶりに改めてプーランクに興味を持ったのは、先日、当地の12歳の天才ピアニスト、牛田智大のピアノリサイタル
http://www.shirakawa-hall.com/calendar007.html
のリハーサルで、即興曲 第15番「エディットピアフを讃えて」を聴き、驚嘆したからです。
http://www.youtube.com/watch?v=PhJFY9ekTzM

>聖なるものと俗なるものが混合するプーランクの芸術の深層

それはプーランクに限ったことではないのでは?
全ての作曲家について言えることなのでは?

「俗って何?」 三田 誠広

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

牛田君はテレビでしか聴いたことがありませんが、インタビューの受け答えも含めて12歳とは思えないですね。
プーランクの即興曲は初めて聴きましたが、気に入りました。
僕もプーランクについてもっと知りたくなりました。

>全ての作曲家について言えることなのでは?

おっしゃるとおりです。

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