デュトワのバルトーク「オケコン」と「弦チェレ」を聴いて思ふ

bartok_concerto_for_orchestra_dutoit_montrealいい知らせがある。26日間も高熱の期間がなかった。夕方の体温は37度2分と37度5分の間で、今はそれを37度かそれ以下にするだけだ。

もう一つの知らせは、私が委嘱作品を書いていることだ。そのせいで体調が良いのかは分からない。ともかく仕事に集中し、朝から晩までかかりっきりだ。全5楽章に及ぶ大規模な作品で、4楽章まではもう完成した。現在は終楽章と闘っている。いろいろな理由でここが難所だ。こういったものはたくさんの細かい作業が必要なのだが、学術論文ほどではない。なんとかここにいる間に完成させたい。
1943年9月26日付、ペーテル宛手紙
「父・バルトーク」P145-146)

微熱が続き、体調不良の中で生み出された奇蹟の大作。セルゲイ・クーセヴィツキーの再三にわたる説得の結果、バルトークは重い腰を上げる。もはや本人も回復するとは思っていなかったのにもかかわらず、ある時期嘘のように体調が好転し、作曲家にインスピレーションを与えた。

作曲にまつわるエピソードが実に興味深い。息子ペーテルは、ショスタコーヴィチの第7交響曲アメリカ初演の模様のラジオ放送が「管弦楽のための協奏曲」の主題を引用するきっかけになったと確信すると言うのだ。

長い曲目解説の後、交響曲は始まり、私たちは静かに座っていた。ところが、第1楽章の後半で父は落ち着かなくなった。「この主題はもう何回も繰り返した。数えてみようか。もうここまで6回は聴いたはずだ」。・・・「主題をこれほど何回も繰り返すのは、どう見てもやりすぎだ。しかもこんな主題を!」。
・・・父はまだぼやいていて、これはパロディにできるかもしれないなどと冗談半分に言った。
・・・父の死後1年ほどして、私はようやく「管弦楽のための協奏曲」を聴く機会があった。第4楽章「中断された間奏曲」にさしかかった時、なつかしいものが聴こえてきた。ああ、ついにやってしまった!
(同上P224-226)

ラジオから流れる電気的に増幅された音楽などを毛嫌いしたバルトークが、たとえパロディとはいえ、そこで聴いた楽想を引用するという事実が何とも面白い。しかも、ラジオを聴く場に同席していた友人の医師であるイシュトヴァーン・シュガールが証言するには、この主題の場面でバルトークが笑顔で、肩も少し踊っていた、というのである。

気難しさと無邪気な人格が同居するベラ・バルトーク。知性に溢れ、徹底的に合理的であった側面と子どもはもちろん動物や自然を愛した側面の両方を持つ天才。彼のどの作品にも感じられる「ロゴスとパトスの拮抗と見事なバランス」は独特の人間性からくるものだとわかった。

バルトーク:
・管弦楽のための協奏曲Sz.116
・弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽Sz.106
ルイ・シャルポンニュー(ティンパニ)
アンドレ・ゴセリン(シロフォン)
グレゴリー・ロウ、ジャック・ラヴァレー(打楽器)
ドロシー・マセラ(ハープ)
ロルフ・ベルチュ(ピアノ)
ジャネット・クリーザー(チェレスタ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1987.5&10録音)

バルトークの数ある傑作のうち随一のものは「弦チェレ」だと僕は考える。ジャズ・ミュージックのイディオムを吸収し、おそらく後のロック・ミュージックに影響を与えたであろう音楽の妙。そして、楽想もさることながらその編成の奇抜さ!!さらには、バルトークらしく楽器の配置も演奏時間の指定も総譜上で明確になされていること!!!

第1楽章アンダンテ・トランクィロの冒頭からのクレッシェンドで聴く者を虜にし、第2楽章アレグロのそれぞれの楽器群の掛け合いの巧みさとスピード感で早くもノックアウト。第3楽章アダージョは夜の神秘的な静けさを表出し、フィナーレ、アレグロ・モルトですべての楽器がひとつになる。

デュトワ&モントリオール響の洗練された響きが、バルトークの民族性に都会的センスをもたらし、限りなく洒落たバルトークに変貌する。これこそ知性と土俗性の融合。

 


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