ゲルギエフのプロコフィエフ「交響曲第2番&第3番」を聴いて思ふ

prokofiev_symphony_2_3_gergiev倒されても簡単に倒れないのがプロコフィエフの「強み」だ。20世紀モダニズムの劈頭として活動した彼も、特にロシア革命以降は思うように報われなかった。しかし、後世の僕たちにとっては、であるがゆえの恩恵がある。例えば、「炎の天使」の不人気によって生み出された交響曲第3番などは、人口に膾炙する作品ではないものの、実に奥深く、ひとたびポイントを掴むと面白くてならない音楽のひとつだ。

シンフォニスト、セルゲイ・プロコフィエフの面目躍如。至る所に懐かしい響きが飛び交う。懐かしいと言っても、現世的な意味でのそれではない。何とも不思議な、過去無量の生命のバトンを受け継いだが如くのそれなのだ。

ワレリー・ゲルギエフを聴いた。

大好きなんです。オペラ、交響曲、協奏曲、映画音楽、バレエ、何をやっても飽きることがない。面白くてしょうがないし、指揮していると自分自身も変わっていく、そんな気がしてきます。どうしてこうもプロコフィエフに心惹かれるのか本当に不思議なくらいです。要は首っ丈なのです。ある人は「プロコフィエフは分からない。ノイズだ」といいますが、私は「それじゃ、そのノイズがどんなに素晴らしいか聴かせてあげましょう」という気になるのです。
~ライナーノーツより

おこがましいが、まったく同感である。もちろん僕は演奏することなどできない。しかし、「騒音」呼ばわりする人には言いたい、「ともかく繰り返し聴け」と。

プロコフィエフ:
・交響曲第2番ニ短調作品40
・交響曲第3番ハ短調作品44
ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団(2004.5.1Live)

「炎の天使」が生まれ変わり、純粋器楽として切り離されて成立していることがそもそもすごい。第1楽章第2主題は、例のルプレヒトの主題だ。この男性的な主題を耳にするだけで心が燃え立つ。そして、第3楽章スケルツォの、「炎の天使」第5幕で壁や床が叩かれる不気味な音楽のシーンは、僕的にこの交響曲のクライマックス。これほど複雑怪奇でありながらシンプルに聴かせるものはない。

ちなみに、ベートーヴェンの作品111を下敷きにしたとされる第2交響曲は一層モダン。鉄と鋼がモチーフだそうだが、それにしては第2楽章は実に抒情的だ。もちろん晩年のベートーヴェンの、孤高の純白の境地には至らないものの、まるでロシア革命以降の祖国を憂えるかのような哀愁溢れる旋律が変奏される。

確かにゲルギエフはプロコフィエフの十字軍としての役目を果たしているよう。どの瞬間も有機的で、金管が吠え、打楽器が唸る・・・。

 


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