ドビュッシーの「グノー」と題する音楽論の一節に次のようにある。
偏見のない多くのひと、つまり音楽家でない人たちは、どうしてオペラ座が「フォースト(ファウスト)」の上演を片意地にくりかえすのか、ふしぎに思っている。くりかえされる理由はいろいろあるが、最上の理由は、フランスの感受性を動かし決定する根拠の本質的な要素であるもののひとつを、グノーの芸術が代表しているということである。欲するか欲しないかはともかく、そうしたものは忘れられることがない。
「グノー」
~平島正郎訳「ドビュッシー音楽論集―反好事家八分音符氏」(岩波文庫)P255
ドビュッシーの音楽芸術に対する審美眼は、客観的で厳しく、そしてまた鋭い。
ワーグナーの見解に対する反論だろうか、ドビュッシーはまた次のようにも述べる。
芸術が大衆には絶対に無用のものであることを、みとめなければいけない。芸術は、さらにえらばれた階層—大衆よりしばしばもっとおろかである—の表現でもない。それは、運命的なかくれた力によって輝くべきときに輝きでる、潜在的な美のものだ。
~同上書P257
むしろ大衆の趣味と一致したグノーの才能を彼は賞賛するのだ。
グノーは、その弱点にもかかわらず、なくてはならぬ人である。第一に、彼は教養がある。パレストリーナを識っており、バッハと共作する。彼の伝統尊重は、グルック—不当にすぎるほど決定的だった外来の影響を、フランスに持ちこんだもうひとりの男—の名を叫ばないでいるだけの、十分な眼識をそなえている。
~同上書P258
言葉と音楽の一体。
語感に相応しい音楽をシャルル・グノーは認(したた)めた。矛盾するようだが、そこには明朗な退廃がある。愛と死の一体と表現するべき官能が、潜在的に認められるのである。
同じくドビュッシーは、(伝統を尊重しながらも)革新的な手法によりながら、詩と音楽の一体を一層推し進めようとした。彼の「歌」には、底知れぬ官能があり、詩に一層の生命力を与える。
ドビュッシー:歌曲集
・美しい夕暮れ(ポール・ブールジェ)(1880)
・マンドリン(ポール・ヴェルレーヌ)(1882)
・虚ろな心(ポール・ブールジェ)(1891)
・鐘(ポール・ブールジェ)(1891)
・グリーン(水彩画1)(ポール・ヴェルレーヌ)(1886-88)
・木馬(ベルギーの風景)(ポール・ヴェルレーヌ)(1886-88)
・噴水(シャルル・ボードレール)(1889)
・海(ポール・ヴェルレーヌ)(1891)
・角笛の音は(ポール・ヴェルレーヌ)(1891)
・羊の群れと立ち並ぶ生け垣は(ポール・ヴェルレーヌ)(1891)
・夕暮れ(クロード・ドビュッシー)(1892-93)
・時はぬいだよ、そのマント(シャルル・ドルレアン)(1904)
・「喜び」が死んでしまったから(シャルル・ドルレアン)(1904)
・「艶なる宴」第1集(ポール・ヴェルレーヌ)(1891)
—声をひそめて
—操り人形
—月の光
・「艶なる宴」第2集(ポール・ヴェルレーヌ)(1904)
—無邪気な人たち
—半獣神
—感傷的な対話
・「二人の恋人の散歩道」(トリスタン・レルミット)
—この暗い洞窟のほとり(1904)
—愛するクリメーヌよ、私の言う通りにしておくれ(1910)
—お前の顔をみて私は震える(1910)
ジェラール・スゼー(バリトン)
ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)(1961.5録音)
スゼーの知性的な声質は、フィッシャー=ディースカウの声を想起する。いや、殊によると、ディースカウ以上に色香立つ。
そして、ボールドウィンのピアノは、あくまで脇役に徹し、歌手の歌を見事にフォローする(しかし、この空ろな伴奏があってこそのドビュッシー)。
初期の歌の晴れやかな初々しさ。晩年の歌の曇った幻想味。ドビュッシーの歌はどれもが自由で美しい。
今年は、クロード・ドビュッシー没後100年、また、ジェラール・スゼー生誕100年。
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