サヴァリッシュのフルトヴェングラー交響曲第3番を聴いて思ふ

furtwangler_3_sawallisch1947年の「非ナチ化裁判」で苦しめられたフルトヴェングラーは、休憩時に「1934年に私はドイツを離れるべきだった」と呟いたそうだ。あくまで芸術と政治とは別物だという信念の下ナチス・ドイツにおいても自信と確信をもって彼が指揮活動を続けたように多くの文献は語るが、やはりこの人も人の子、ひとりの人間だったということ。追い詰められた時に不安や後悔や、数多の負の感情が噴出するもの。
それに、例えば1954年12月2日の、彼自身が認知した5人の非嫡子が写っているハイデルベルクでの埋葬式の写真は、音楽活動においては神のように崇められたフルトヴェングラーも決して聖人君子などではなく、普通の(いや、普通ではないか)色好みの男だったことを証明する。

人間誰にでも過ちはある。そして、欠点・短所もあるんだ。決して無用に責めるなかれ、「人間」なのだから・・・。

1946年頃から死の年まで書き継がれた交響曲第3番は、ほとんど演奏される機会のない作品だが、フルトヴェングラーの戦後における様々な「苦悩」が作品中に如実に反映されており、深い内容をもつ。それに、第2番に感じられるほどの「冗長さ」は緩められており、僕など、3つある彼の交響曲の中で最も好きなものだ。

フルトヴェングラー:交響曲第3番嬰ハ短調(3楽章版)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団(1980.1.7Live)

サヴァリッシュの、フルトヴェングラーへの尊敬と愛に溢れた指揮が素晴らしい。
「彼岸の世界」という副題をもつアダージョ楽章は絶品。ロマンティスト、フルトヴェングラーの面目躍如たるところ。なるほど彼は世知辛い人間世界を抜け出したいという思いで音楽をやっていたのか。憧れの「彼岸」を描こうとするもそこにあるのは「現実」の人間感情に溢れた「此岸」であるように思われる。
「運命」と題される第1楽章ラルゴは、自身と祖国ドイツの悲惨な運命を呪うかのような壮絶さと、諦めにも似た静けさが同居する。そして、第2楽章スケルツォ「生きる」には躍動的で前進的な生命が漲る。1952年10月という日付をもつこの楽章はこの後の人生へのフルトヴェングラーの希望だ。

このあまりに人間的な音楽を聴いて、片山敏彦訳「リルケ詩集」の序文を想った。言い得て妙。

リルケは言った―「大きな世界が、自己の衷にはいって来ると、世界は海のように深くなる」と。人間の魂とは「大きな世界」―自己を超えている、謎に満ちた存在―を、自己において「海のように深い」ものにする力であり、そしてまたこの深さの中から創造する力であるとも言えるだろう。

残念ながら僕は4楽章版を耳にしていない。果たしてフルトヴェングラーが失敗作の烙印を押した終楽章の出来はどうなのか?できることなら機会を得て実演を聴いてみたいところ。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

フルトヴェングラーの交響曲は自作自演のほうがましですね。とはいえ、サヴァリッシュはよくやったものだと思います。
これは唯一、自作自演できませんでしたね。

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