人が物事を認識する時、視覚情報は85%を占めると言われる。音楽も、舞台や映像など目に見える形があることにより深掘りされ、作曲家が込めた意味が一層明快になるもの。
ピーター・セラーズが「リチュアライゼーション(儀式化)」と謳う「マタイ受難曲」を観て震えた。
「信仰」というものはそれぞれの心の内にある「形のないもの」、「表現不可能なもの」だと僕は思っていた。しかし、ピーター・セラーズ自身が”It’s not theatre. It is a prayer, it is a meditation.”「これは演劇ではありません。一種の祈りであり、瞑想なのです」と語るように、ラトルとベルリン・フィルは、ピーター・セラーズという稀代の演出家の協力を得、マーク・パドモア、マグダレーナ・コジェナーら一流の声楽陣とともに「マタイ受難曲」という名作を媒介にして、まさに「信仰」というものを「見える化」した。
何という奥深い「感動」か。第2部の、イエスが磔刑に遭い、死を迎えるまでの描写の深い祈り。これはもうそれぞれの役になり切るソリストたちの命の懸かったパフォーマンスだ。例えば、ペテロが裏切りを懺悔し、慟哭する後に続く、おそらく「マタイ」中最も有名な第39曲アルト・アリア「憐れみたまえ、わが神よ」の、ペテロの心を代弁する、そしてエゴにまみれる人類の心を清らかにする場面では、ダニエル・スタブラヴァの独奏ヴァイオリンとコジェナーの歌が完全に一体となる。哀しみと祈りがはっきりと「見える」のだ。
さらに、続く第40曲コラール「たとえあなたから離れても」の厳粛でかつ崇高な音楽にあらためて涙する。
第42曲のバス・アリア「イエスを私に返してください」における、樫本大進の伴奏とトーマス・クヴァストフの歌は、互いの眼光の鋭さに支えられバッハの厳格な信仰心を見事に言い当てるよう。深い呼吸の音楽が奏でられるこの瞬間の「緊張感」はひとつの見どころであるといえる。
J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244
マーク・パドモア(福音史家/テノール)
クリスティアン・ゲルハーヘル(イエス/バリトン)
カミラ・ティリング(ソプラノ)
マグダレーナ・コジェナー(メゾソプラノ)
トピ・レーティプー(テノール)
トーマス・クヴァストフ(バスバリトン)
ベルリン放送合唱団
ベルリン国立大聖堂少年合唱団
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2010.4.11Live)
ピーター・セラーズ(演出・舞台)
第49曲のソプラノ・アリア「愛の御心から救い主は死のうとされます」におけるエマニュエル・パユの柔和で美しいフルート伴奏の妙。「強弱の表現」がこれほどまでに的を射、音楽の幅を広げ得るのだと再確信したシーン。これら独奏陣による伴奏の際、ラトルは完全に棒を置く。すべてが暗譜でありながら極めて正確にかつ愛をもって繰り広げられる「マタイ」の儀式は奇蹟だ。
恐るべきは、第50曲の二重合唱「十字架につけろ!」からの血の報復ドラマ。バラバが釈放され、イエスは鞭打たれる。第52曲アルト・アリア「この頬の涙が」はコジェナーの独壇場。
この頬の涙が
何の助けにもならぬのなら
おお、それなら私の心をとるがよい。
だがこの心を、流れ満ちるまで
傷が慈しみ深く血を流すならば、
受けの器として使ってはくれまいか。
人は誰も罪を被りたがらないもの。勇気ある慈悲に満ちたイエス・キリストがすべてを背負うのだ。
最後の合唱は「ゼロ」の世界。ここに至る3時間のドラマが、苦悩や嫉妬や、人間感情の何もかもが浄化されるのだ。
私たちは涙を流しながらひざまずき
墓の中のあなたに呼びかけます。
お休みください、安らかに、安らかにお休みくださいと。
お休みください、苦しみぬいた御体よ、
お休みください安らかに、お休みください心地よく。
終演後の、静謐なる沈黙と、その後のスタンディング・オベイションがすべてを物語る。
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「マタイ受難曲」はバッハ生誕300年を記念して、二期会が舞台上演したことがあります。この時も台になったようですね。
>畑山千恵子様
そうですか!それは知りませんでした。観てみたかった!
とはいえ、1985年ですよね・・・。その頃の僕は「マタイ」はちんぷんかんぷんでした。
初めまして 岡本様
唐突に申し訳ございません
鹿児島在住の永吉と申します
周囲に この衝撃を分かち合える 同好の士が 少ないものですから 失礼ながら eMail させていただきます
遅ればせですが小生も昨日(2018年4月1日)視聴いたしました 3時間があっという間で驚倒いたしました
ヴィオローネの女性の演奏が迫力ありました
ブログ購読させていただきます
追伸
ひょっとしたら こちらの環境の問題化もしれませんが html に不具合があるように見受けられます
画像間が重なり合って見えにくいところがあります
以上 余計なことながら老婆心から
>永吉誠様
こんばんは、コメントをありがとうございます。
この演出は本当に衝撃ですよね。「ヨハネ」の方も視聴してみたいのですが、
DVD&BDという訳のわからない抱き合わせ商法に辟易しまして、
手に入れることが出来ない状況に陥っております。(笑)
また、html不具合のご指摘ありがとうございます。
画像間が重なり合うというのはどういう状態なのか、
少なくとも僕自身のブラウザでは確認できないので、
詳細に教えていただけるとありがたいです。
引き続きよろしくお願いします。