グリモーのショパン、リスト&シューマン(1987.8録音)を聴いて思ふ

grimaud_piano_collection35110代とは思えぬ安定感と閃きにも似た即興性。そして、ほとんど音楽そのものと一体化しているのではという錯覚。エレーヌ・グリモーの初期録音はどれもがそんな印象を与える。

ショパンのバラード第1番に垣間見る自由な飛翔。また、リストの「ダンテ・ソナタ」における深い祈りと信仰の発露。そして、暗い情熱と幻想を見事に音化したシューマンの第1ソナタにおける先見。同時代の天才たちの美しい作品群を見事に一本の線で結ぶ強烈な個性こそエレーヌの本領。

エレーヌ・グリモーは幼少から日常的に時間と空間をいとも容易く飛び越えていたようだ。彼女の文章を読むとそのことが自ずとわかる。同時にまた、彼女の時空を超える能力が彼女に奇蹟的体験をもたらしたことも理解できる。

カチッとスイッチが入ったのは何年もあとのことだ。ある晩、パリ国立高等音楽院での試験前夜、私は迷いにさいなまれ、練習ができずにいた。シャルパンティエの曲を覚えなければならない。この曲は私を退屈させ、私の頭は記憶するのを拒否していた。私がこの都会と音楽院とにいる理由、私の全未来がこの練習にかかっていた。私には、未来は複雑にこんがらかり、漠然としていて、緑色の不信の海に溺れているように思えた。パリで勉強を続けたいと望んでいたものの、やはり自分は「よその場所」の人間だという感覚、昔からの圧迫感が、今度もまた喉を締めつけた。でも、私にはできなかった。からだと精神とが鉛のように重くて、この障害物を乗り越えられずにいた。
結局、寝ることにした。翌日、確実に自分を待つ失敗に対して覚悟を決めておきたかった。私は目を閉じ、すると突然、お祈りの習慣が一気に甦ってきた。ただ今度は「聖寵満ち満てる」ではない。私の目がスキャナーのように読みとっていたシャルパンティエの譜面全部、私はそれをかつての「主の祈り」のように、リズムとイントネーションに満足するまで繰り返した。お祈りは私に、自分が吸収しなければならないものすべてを、舞台上の装置のように、イメージと色彩とで自分の前に建てることを教えた。
翌日、私はこの曲をなんの問題もなく、きわめて明晰に完璧に弾きこなした。私は、思い出すとはまた創造することでもあるのを理解した。記憶とは創作の魔術師だ。
エレーヌ・グリモー著/北代美和子訳「野生のしらべ」(ランダムハウス講談社)P52-53

何という体験!
「思い出すとはまた創造することでもある」というのがまた言い得て妙。幼少から途切れなく積み重ねられていた信仰と祈りが彼女に奇蹟をもたらしたのではない。祈りそのものが想像力と色彩と連関し、それがそのまま音楽創造の契機になったのである。
なるほど、確かに彼女弾くショパンにも、リストにも、そしてシューマンにも「祈り」が溢れる。

・ショパン:バラード第1番ト短調作品23
・リスト:「ダンテを読んで―ソナタ風幻想曲」~巡礼の年第2年「イタリア」
・シューマン:ピアノ・ソナタ第1番嬰へ短調作品11
エレーヌ・グリモー(ピアノ)(1987.8.23-25録音)

シューマンの嬰へ短調ソナタ第2楽章アリアの、いかにもシューマンらしい静かで甘美な旋律に涙する。続く第3楽章スケルツォと間奏曲のおどけるリズムにも、いかにも音楽に奉仕せんとするエレーヌ・グリモーらしい真面目で真摯な祈りと姿勢が刻印される。
しかし何より素晴らしいのはリスト!!僕にとっては、この気難しく似非の深みさえ感じさせていた音楽が、実に澄み、意味深く心に染み入る。何という力強さ!!もはやリストの魂がエレーヌに同期するような印象とでもいうのか。美しい!

私には親友も、兄弟姉妹もいなかった。それを不満に思ったことはない。両親は私の想像力が必要とする糧―なによりもまず本、なんといっても本―を、私の生活にもたらしてくれた。
~同上書P28

たぶんに空想の世界にいたエレーヌにとって人との関わりというのは煩わしいものだったのかもしれない。果たしてそのことが彼女の音楽性に一層の磨きをかけ、独自の音楽を創造するための大きな力になったであろうことは間違いない。
しかし、ショパン然り、シューマン然り、そしてリスト然り。どんな天才も他人のサポートによってはじめて内なる天才を見出すのである。エレーヌにとってそれは両親の力であったのだろうか。

 

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