志を立ててもって万事の源となす

great_conductor_schuricht.jpg授業の前に少々時間があったので大学近くの松陰神社にお参りした。安政の大獄で29歳にして斬首刑になった吉田松陰が眠る神社である。日本の歴史にはあまり詳しくないので、松陰についても高校レベルくらいの知識しか持ち合わせないが、どうやら今年は没後150年のようである。
松陰語録
をひもといてみると、なるほどそこには熱い言葉が並ぶ。

志を持たないことには何事も始まらないのだと。おっしゃるとおり。世田谷にあるこの神社に隣接する某大学での90分の講義。例によってエントリーシートテストのガイダンス。さすがに今のご時勢、学生といえどもそれなりの危機感はあるようで、至極真面目に、そしてほぼ私語なしに耳を傾けてくれた。それにしてもほとんどの学生の躓きどころが「志望動機」。150名近くの学生が参加していたように思うが、これまで業界研究のためにOB訪問をしたことがある人という問いかけに手を挙げた学生は皆無。そういう意味では見事としか言いようがないが、考えてみれば自分だって3年生の今頃はもっと意識が低かっただろうゆえ仕方ないといえば仕方ない。僕など今の時期、業界研究どころかひとつの準備も始めていなかったに等しい。

今の若者は幸せである。大学側が厳しい就職戦線を乗り越えるために手取り足取り機会を設けてくれるのだから(大学側からしてみても就職内定率を1%でも上げることが存続のための命題ゆえ当然といえば当然なのだろうが)。ともかく「あなた自身が世の中に、あるいは会社に何を提示することができるのか、どんな風に貢献できるのかを考えることが重要だ」ということを何度も繰り返した。

ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調作品21
カール・シューリヒト指揮パリ音楽院管弦楽団(1958.9.27-29)

1799年、29歳(松陰が志半ばに獄死した年齢!)のベートーヴェンが、ハイドンやモーツァルトら先輩大作曲家の影響から脱皮して、まさに志を立てんと自身のオリジナリティの確立を目指した意欲作。第1楽章と終楽章いずれにもアダージョの序奏部をもつが、双方とも活気ある主部の導入として既にベートーヴェン的な独創性を秘めている。ところで肝心の演奏は・・・。

シューリヒトがウィーン・フィルとDeccaに録音した音盤が大人しく聴こえてしまうくらい圧倒的にこのコンビの生み出す音楽は熱い。シューリヒトの灼熱の棒により、この柔和で優しい音楽がまるで怒れるベートーヴェンと化す。「諸君、立ち上がれ!」と鼓舞するがごとく・・・。惜しむらくはこの時代の録音にもかかわらずモノラルであるということか。

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない。
世俗の意見に惑わされてもいけない。
死んだ後の業苦を思いわずらうな。
また、目前の安楽は一時しのぎと知れ。

百年の時は一瞬にすぎない。
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように・・・


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>「あなた自身が世の中に、あるいは会社に何を提示することができるのか、どんな風に貢献できるのかを考えることが重要だ」
御意! ケネディ大統領の就任演説を思い出します。
吉田松陰没後150年ですか・・・、幕末の志士たちの時代は大変な時代でしたね。しかし、人口3,300万人前後、65歳以上人口比おそらく5%前後という幕末の日本に住む若者と、人口1億2,000万人超・超少子高齢化社会・晩婚化・未曾有の大不況・おまけに先進国中断トツの巨額財政赤字という現代日本に住む若者とでは、置かれている立場が根本的に異なっていますよね。「社会に貢献したい」という若い人は多くても、それを受け入れる社会への入口が極端に狭く、なおかつ、財政的には一人の若者が多くの高齢者を支えなければならなくなった現在は、これはこれで大変な時代です。若い世代を覆う苦しみの原因は、社会の構造的要因による無言の圧迫感のほうが、本人たちの自己責任より圧倒的に大きいと思っています。
※人口の件、参考資料 「社会実情データ図録」
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1150.html
シューリヒトのベートーヴェンの交響曲全集は私も大好きです。この時期のEMI、様々な経緯があってシューリヒトはパリ音楽院管弦楽団と、クリュイタンスはベルリンフィルと、それぞれベートーヴェンの全集を作りましたが、この組合せは常識的には逆ですよね(笑)。でも、それが結果的には両方幸せな成果に結実しています。不思議なものです。シューリヒトの全集では「田園」など特に好きですが、御紹介の第1番も絶品ですね。
交響曲第1番は、演奏する側にとっては、人気のある第5番「運命」や第7番より、難易度は遥かに高いです。そこに若きベートーヴェンのこれから世に出る野心を感じ、いつ接しても素晴らしいと感じます。
ベートーヴェンと、もう過去先人に全ての可能性をやり尽くされた、今は裕福な現代の若い作曲家とでは、どちらが大変なのでしょうね?(演奏家についても同様)

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>社会の構造的要因による無言の圧迫感のほうが、本人たちの自己責任より圧倒的に大きいと思っています。
ほんとにおっしゃるとおりですね。大人でも感じるこの無言のプレッシャー、厳しいですよね。しかし、そういう時だからこそ逆にまた乗り越える楽しさがあるんですけどね(前向きに考えれば)。
>シューリヒトはパリ音楽院管弦楽団と、クリュイタンスはベルリンフィルと、それぞれベートーヴェンの全集を作りましたが、この組合せは常識的には逆ですよね
確かに!
>でも、それが結果的には両方幸せな成果に結実しています。
必然ですねぇ、これらのベートーヴェン全集は。いずれも僕も大好きです。
>今は裕福な現代の若い作曲家とでは、どちらが大変なのでしょうね?(演奏家についても同様)
やっぱり今でしょうね。どうしていいかこれ以上の智恵はなかなかでてこないんじゃないですかねぇ。

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