ムラヴィンスキーのプロコフィエフ&スクリャービンを聴いて思ふ

prokofiev_6_scriabin_mravinsky_1958トランペットの異様な風圧が往時のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の特長であり、肝。あの身震いするような独特の音を耳にするだけで、その演奏がムラヴィンスキーのものであることが即座にわかる。
彼の演奏は一切の妥協を許さず一聴冷徹な印象を与えるが、トスカニーニとはまた別の意味で内燃するパッションに溢れ、外面的にも触れれば火傷をしてしまうが如くの灼熱地獄。聴く者は100%金縛りに遭遇する。

エフゲニー・ムラヴィンスキーはプロコフィエフの作品の中でも交響曲第6番にこだわった。戦争末期に着想され、戦争直後に完成、そしてムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによって初演された晩年の傑作(とはいえ、メジャーな第5番や少々軽めの第1番「古典」に比較して一般的に演奏頻度は低い)。
録音もいくつか残されるが、いずれも研ぎ澄まされた刃物のように切れ味鋭い。

その夏の後半の数週間、セルゲイ・プロコフィエフはニコリナ・ゴラの自宅で指揮者と共同作業をした。二人はそれまではほとんど互いの道を交えたことはなかったが、この交際を楽しみ、完全で念入りな演奏を目指して情熱を分かち合うことになった。その世界初演は10月11日に行われ、翌日の夜にも演奏され、ソ連のラジオで実況放送された。このプロコフィエフの交響曲の成功はあらゆる人々の予想を越えるものだった。ムラヴィンスキーの深遠で洞察力ある謎めいた解釈で、第6番はシェイクスピア悲劇の感情に近いものを髣髴とさせた。この作曲家は自分自身の作品の解釈にめったに満足しなかったが、ムラヴィンスキーの分析とリハーサルを高く評価した。
グレゴール・タシー著・天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」P180

・プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調作品111(1958.12.23録音)
・スクリャービン:交響曲第4番作品54「法悦の詩」(1958.12.22録音)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

作曲者お墨付きの演奏ということ。プロコフィエフはベートーヴェンのハ短調ソナタ作品111がお気に入りだったようで、例えば2楽章構成で同種の雰囲気をもつ交響曲第2番などもかのピアノ・ソナタに触発されたものだと作曲者自身は語っている。ならば、同じ作品番号をもつ第6交響曲についても連関はないのか?

どの楽章も力強く、かつプロコフィエフならではの繊細さをあわせもつ。しかもムラヴィンスキーの解釈を挟むがゆえなのか音楽の核心が実に堂々としておりまったくぶれがない。フォルテの箇所とピアノの箇所の壮絶な対比。歌うところは徹底的に歌い、うねるべきところはうねり、咆えるところは徹底的に咆える。そう、ここには「詩」がある。

ムラヴィンスキーの日記より。
1953年1月31日
「知る」こともなく望みもない時の離別は「死」のときである。ただ「知識」や明るい予感や、うまくいくという公算への期待が、永遠と瞬時の離別をわけているにすぎない。
河島みどり著「ムラヴィンスキーと私」P111

何という見事な解釈!物事を的確に、しかも「詩的に」読み解く力がムラヴィンスキーには備わっており、同時代の作曲家の数多くの作品を初演し、絶賛を博した理由がここにある。

2月1日、メーリニチヌイ・ルチェイ
冬の森をレニングラードへと続く道のように歩く。雪原の上に灰色の荒涼とした空がかかっている。釘付けにされて雪に埋まった家や塀が続いている。「クルル」という耳慣れた声が響く。遠く雪に覆われた松の上を二羽の黒カラスが舞っていた。
風が飛ぶ。十字路の松の凍った枝が風にさわぐ。宿無しのうらさびれた思い。突然、森のなかの工事小屋のほうから高い澄んだ音楽が響く。ラジオから美しい女性の声
ピアノがメロディを繰り返す。その響きは沈黙の雪原に広く高く鳴り渡る。私は目を閉じて思い描く。
~同上P111

スクリャービンの方も絶品。やっぱり肝はトランペットの咆哮、音圧・・・。たまらない。

 


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