アムランのアルベニス 組曲「イベリア」を聴いて思ふ

albeniz_iberia_hamelinスペインに思いを馳せる。かつてたった一度だけ足を踏み入れたに過ぎない僕は、この国のことは何も知らない。しかし、その独特の音楽語法を耳にするだけで、それがスペインの作曲家によって生み出されたものであることが即座にわかる。ほとんど知らない癖にその情緒がわかるというのだから面白いもの。音楽にはその地域の民族性や思想や、あるいは風趣までもが刷り込まれる。それに何十年もその音楽に触れていると感覚は研ぎ澄まされるみたいだ。音楽を聴いて空想するだけでその国を訪れることができるのだから、音の組み合わせ、連なり、ハーモニー、リズムの饗宴という無限の組み合わせたる音楽作品の妙味というものをあらためて思う。

大気を伝って才能は伝染するのだろうか。
ドビュッシーの「前奏曲集」を聴き、アルベニスの「イベリア」を聴いた。第3巻の「エル・アルバイシン」を聴いたドビュッシーが激賞したという逸話を先日紹介したが、それにしてもこれらの曲集の、「芯」の一致する情緒は単にフランスとスペインというラテン民族であるという事実だけに為せる業ではない。いずれにも、それまでにない音楽という挑戦があり、堅牢な形式を超えた浮遊感もあり、しかもそれがそれぞれの民族性を逸脱することなくまとめられているのだから奇蹟だ。

これまで、バッハとショスタコーヴィチの「前奏曲とフーガ」を交互に演奏するというプログラムを引っ提げたピアニストは何人もいたが、ドビュッシーとアルベニスのかの曲を交互にやると面白いかも。果たしてそういうピアニストはいたのかいなかったのか・・・?

アルベニス:
・組曲「イベリア」(全曲)B.47
・ラ・ベーガ(草原)B.46(組曲「アルハンブラ宮殿」〈未完〉の第1曲として作曲)
・イヴォンヌの訪問B.48
・スペイン(想い出草)B.45
・ナヴァーラB.49(ウィリアム・ボルコムによる補筆完成版)
マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ)

昔、アムランの実演を聴いてあまり感心しなかった。どうにもテクニックだけが先行して、とても表面的であると思った。しかし、どういうわけか録音は別物の印象。この「イベリア」は素晴らしい。実に晩年のアルベニスの孤高の心情を、そして彼が見た祖国の様々な風景を見事に言い当てる、そんな演奏。試しに第1巻を聴いてみるがよい。第1曲「エヴォカシオン」の優しさと深みといったらない。ここには祈りがあり舞踊がある。それこそロドリーゴがギター独奏曲で表した「祈りと踊り」の先取りのような、否、一層深遠な音楽が聴こえるのである。
第2曲「エル・プエルト(港)」における、活気に満ちた風景と人々の安らぎの対比がいかにもイマジネーションを喚起する。第3曲「セヴィリアの聖体祭」の律動に思わず打ちのめされる。中間部の静けさにも恍惚と。

第4巻までを一気に聴いた。付録に晩年の諸作が収録されるが、今日のところはお預け・・・。

イサーク・アルベニスは49歳で亡くなっている。そういえば夏目漱石もそうだ。これらの偉大な天才たちの享年を超えた僕がいる。何とも不思議な気分・・・。
そういえば昨日がイサーク・アルベニスの命日だ。死して105年。そんなに遠い過去の人ではない。

 


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1 COMMENT

畑山千恵子

「ナヴァラ」はテオダ・ド・セヴラック、「アズレホ」はグラナドスが補筆完成しました。アルベニスは腎臓病の一種で難病だった「ブライト氏病」を患い、教職を退き、演奏活動もできなくなってきました。その中でスペインの情景を書き残そうとして、この曲集を書き上げました。
アルベニスの作品には、「スペイン組曲」Op.47のように、最初からこの作品用のものとして完成した4曲、後に出版社が挿入した4曲によるものがあります。これはアルベニスの死後、まとまった作品集として出版すべきだとした以降もあったようです。

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