ヴィノクールのチャイコフスキー「四季」ほかを聴いて思ふ

tcjaikovsky_piano_works_vinocour暑い。早6月。
今頃はロシアも白夜なのだろうか?残念ながら僕は「白夜」というものを経験したことがない。そこに生きる人々は果たして何を想うのか。
チャイコフスキーは「四季」の中で5月を「白夜」とした。ロシアの旧暦はほぼ2週間遅れなのでちょうど今頃から夏至にかけての季節。

何という夜! 何という恍惚!
私の真夜中の国 お前に感謝する
何と新鮮で澄んでいることだろう この五月の爽やかさは!
アタナシイ・フェート詩

主部はまさにこの「恍惚」だ。一晩中太陽が昇っているという奇蹟に人は酔い痴れるのだろう。中間部で一気に心が解き放たれ音楽は大自然への「感謝」に満ちる。そして再現部は「祈り」。メロディ・メイカー、チャイコフスキーの独壇場。
続く6月「舟歌」は、何という哀しみのカンタービレか。中間部では高まる慟哭の感情が表現される。

浜辺で波を我々の足で愛撫させておくれ
輝く星は我々に 悲しくひそかなあいさつをおくる
アレクセイ・プレシチェーエフ詩

「四季」は大自然への感謝であり、讃歌だ。チャイコフスキーの内には確実に神が在った。
レフ・ヴィノクールの落ち着いた、一見何の変哲もないピアノ演奏に「自然の美」が映ったことで僕は一層そのことを確信した。

チャイコフスキー:
・ポロネーズ~歌劇「エフゲニー・オネーギン」(リスト編曲)
・子守歌作品16-1(パーヴェル・パプスト編曲)
・「おお、あの歌を歌って」作品16-4(チャイコフスキー編曲)
・「なぜそんなに」作品16-5(チャイコフスキー編曲)
・常動曲~ウェーバー作曲ソナタ作品24(チャイコフスキー編曲)
・12の性格的小品「四季」作品37bis
・ドゥムカ作品59
レフ・ヴィノクール(ピアノ)(2006.3録音)

「ドゥムカ」の染み入る哀しみ。チャイコフスキーが亡くなった2週間後に追悼の意味を込めて初演されたこの作品は、期せずして作曲家が生み出した自身へのレクイエムのようなものか・・・。

チャイコフスキーは単なるロマンティストではない。とても現実的でありながらイマジネーション豊かで、その上自然や神に畏怖を抱き、命燃え尽きるまで音楽に身を捧げた天才だ。言葉や物語を見事に音化できる才能に舌を巻く。

最後の3つの和音に僕は希望と諦観の2つを観た。

 


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