フルトヴェングラーのシューベルト「ザ・グレート」(1942)を聴いて思ふ

schubert_9_furtwangler_1942ウルトラセブンの「哀惜のバラード」を時に思い出す。冬木透さんの傑作。

その名の通り、これほど哀しみと憂いに溢れた音楽はない。僕の感覚では何だかフランツ・シューベルトに通じる美しさと哀感なんだ。
そういえば、「冬木透」というペンネーム自体が「冬の旅」、それも「菩提樹」を連想させる。果たしてどういう意味合いと所以があるのか勉強不足で知らないのだけれど、冬木さんのアイドルはシューベルトその人ではなかったのかなどと想像した。

夏日に「冬の旅」でもあるまい。ならばここは「ザ・グレート」だ。開放的なハ長調を基調にし、しかも執拗に繰り返されるいかにもシューベルトらしい名作。凡演に触れると途端につまらなくなるこの作品も超絶演奏を聴いた時には思わずのけぞってしまうという晩年の繊細な音楽。

戦時中のフルトヴェングラーの実況録音。これほど激しく動的で、一切弛緩のない演奏は稀だろう。

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」(1942Live)
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲作品56a(1943Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

第1楽章コーダの怒涛のアッチェレランドに背筋が凍る。第2楽章アンダンテ・コン・モートの軽快な足取りの、いかにもシューベルトらしい柔らかい主題に釘づけ。そして、中間部の歌謡がわかっているのに涙を誘う。スケルツォも理想的なテンポで一気呵成に進む。白眉は終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ!!これほど生命力に漲る音楽があろうか。やはりこの時点でシューベルトには希望があったということ。29歳の彼は、よもや2年後にこの世の人ではなくなるとは想像だにしなかったろう。

それにしても戦時中のフルトヴェングラーの芸術はどれも異様なテンションに満ち、悪魔的律動に溢れる。こんなものを実演で聴かされたら失神失禁間違いなし。
これ以上は言葉にならない。

深い憧れの聖なる不安が
より美しい世界に焦がれている。
そしてこの暗い闇を
全能の愛の夢で満たしたい。

偉大なる父よ!その息子に、
深い苦しみの代償として、
あなたの愛の永遠の光を
救済の糧として与えてほしい。
1823年5月8日シューベルト作「わたしの祈り」より
喜多尾道冬著「シューベルト」P219

シューベルトは詩人だ。冬木透も同じく・・・。
オーパス蔵の復刻はさすがに生々しい。

 


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