1975年の北イリノイ大学におけるインタヴューでマイルス・デイヴィスは次のように答えている。
何がイエスだ。黙りやがれ。チクショー。お前は神やイエスを信じているのか?俺は俺自身を信じているんだ。俺は、誰もが神やイエスだと思っている。イエスがいてこの世にやってきたら、ワインやビールを飲みながら麻薬をやって、刑務所にぶちこまれるだろうよ。
~ポール・メイハー&マイケル・ドーア編、中山康樹監修/中山啓子訳「マイルス・オン・マイルス」P230
なるほど、キリストも人間だったと。それゆえ所詮は僕たちと何ら変わることのない俗物だと彼は言うのだ。ただし、ニュアンスの取りようによっては人それぞれの内に神が在ることを言及しているともいえる。
マイルスは時に「無神論者」だといわれる。確かに上記の言葉などを表現通りに捉えるならその通りだ。しかし、彼の言葉には一貫性があり、それは決して短絡的に神への冒涜につながるものではないのである。1989年5月のインタヴューにおいて、マイルスは盟友ギル・エヴァンスの死に際し、こう言う。
いや、やっぱり寂しい。ほかの連中は、前から寂しがっていた。なかなか彼に会えなかったからな。俺は死についてはあれこれ考えない。人が死ぬとは思わないのさ。俺の言うことがわかるか?魂は不滅だと信じているんだ。何がどうなるのかはわからない。だがみんな、戻ってきて周りのどこかにいるはずだ。ギル・エヴァンスはいつの間にかいなくなった。俺は彼が死んだと思えない。
~同上書P455
マイルス・デイヴィスの根底に流れるものはスピリチュアリティだ。彼がいつになく吐く暴言は、自身を、そして広い意味での黒人を軽視するような発言や態度に対して為されることであり、そこにまた彼の弱さがあるのも確か。ただし、その「負」こそが創造の源泉となっていて、それらがマイルス・ミュージックとして昇華されるとき、万人をあちらの世界へと誘う恐るべきパワーに転化されるのである。その強烈なエネルギーに僕たちはいつもひれ伏してきた。
マイルスは神を信じていた。その存在、そして天の配剤によって必要な時間だけ生かされていることもどこかでよくわかっていた。同じインタヴューの中で次のようにも語る。
で、俺がやり残しているのはただひとつ、90歳まで生きるということだ。まだまだ先は長い。それもやってみせるさ。
~同上書P456
残念ながらこの言葉からわずか2年あまり後に彼は天に召された。
もしも(音楽)創造者が創造主にコントロールされるのでなく、自らの力のみで音楽を創作しているとするなら、マイルスは実際に90歳まで生き長らえたことだろう。しかしマイルスは70歳にもならないうちに亡くなった。マイルスは神によって選ばれ、天の配剤によってあの期間「生かされていた」天才だった。
マイルス・デイヴィス23回目の命日に名作「カインド・オブ・ブルー」を聴く。このアルバムについて今さら僕が何かを語ることはない。おそらく今この瞬間、マイルスが舞い戻ってきて周りのどこかにいるはずだ。その魂を感じながらただひたすら耳を傾ける・・・。
Miles Davis:Kind Of Blue(1959.3.2 & 4.22録音)
Personnel
Miles Davis (trumpet)
Julian “Cannonball” Adderley (alto saxophone)
John Coltrane (tenor saxophone)
Winton Kelly (piano)
Bill Evans (piano)
Paul Chambers (bass)
Jimmy Cobb (drums)
秋深まりゆく札幌の夜に・・・。
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