トリノ王立劇場2010 ノセダの「ボリス・ゴドゥノフ」を観て思ふ

boris_godunov_noseda_trino_2010「ボリス・ゴドゥノフ」にどうしてこうも惹かれるのだろう。
それは、ムソルグスキーの飾り気のないあまりに荒削りで直接的な音楽の魅力もあるが、それ以上に中世ロシアの「動乱の時代」という史実をベースに人間存在の美醜をひとつ残らず表現したプーシキンの物語の力に依るところが大きい。
神話でもなく、メルヘンやメロドラマでもない、あまりに「人間臭い」ストーリーに僕は心を動かされる。

ボリスの「良心」は真実でもあり、似非でもある。あの呵責による怯えと苦しみは「真実」であり、それがまた人間の弱さであることを訴える。しかし一方で、第8場「モスクワのクレムリン内にある会議場」のシーン、いわゆる「ボリスの死」の場面で、彼は「神よ、自分のために祈るのではない」と乞う。「自分のためではなく愛する息子のためなのだ」と。しかし、人間というもの、本当に自分のためでないのならあえてそういう言葉を選ばないもの。ここでボリスは本性を露わにし、「エゴ」に打ち勝てないまま逝くことになる。
人間の内なる葛藤は、良心とエゴとのせめぎ合いということだ。

今わの際にボリスはいかにも自身を正当化しこの世を去るのだが、罪が死によって償われるのならこれほど簡単なことはない。実に往生際が悪い。身体や心は違えども魂は永遠。つまり、ボリスが犯した皇子殺しの罪は永遠に消えることはないということ。
彼は、本当はもっと早い時点ですべてを認め、心から懺悔すれば良かった。少なからず「良心」は残って・・・、いや、この言い方は違う。そもそも人の源は「良心」にあるのだから。いずれにせよ、このいかにもステレオ・タイプ的ボリスこそがこの歌劇の魅力なのである。

それにしても何という暗澹たる物語。血に塗られたロシアの戦いの歴史をムソルグスキーは見事な歌劇にして世に問おうとした。歴史上の皇帝の悪政を戒めんがための意味合いもあったのだろうが、そんなに小さな視点ではなかろう。人間存在の根源に関わる、そこには人としての罪を問う、そういう大きなテーマが隠されていた・・・。ノセダとコンチャロフスキーによる、1869年初稿版をベースに1872年稿の最終場面「クロームイ村の近くの森の空き地」の場面を付け加えた8場とエピローグからなるこの映像を観て、とてもオーソドックスな演出と時折映されるノセダの手に汗握る渾身の指揮姿に感動しつつ、そんなことを思った。

ムソルグスキーの音楽は、あるいは彼の解釈は当時の聴衆にとって極めて難解だったろう。しかし、見方によってはここには希望もある。人が輪廻を繰り返すとするならいずれまた人として生まれ変わるということ。ならば、日々罪を犯し、カルマを背負う僕たちは今何をすれば良いのだろう?ボリスの生き様を通じて自身の生き方を自問せよと。そうすれば自ずと「答」は見つかるのだと。そんなことを諭されているように思った。

トリノ王立劇場2010
ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」
オルリン・アナスタソフ(ボリス、バス)
アレッサンドラ・マリアネッリ(クセニヤ、ソプラノ)
パヴェル・ズボフ(フョードル、ボーイソプラノ)
イアン・ストーリー(グレゴリー/偽ドミトリー、テノール)
ウラディーミル・ヴァネーエフ(ピーメン、バス)
ピータ・ブロンダー(シュイスキー侯爵、テノール)
ヴァシリー・ラデュク(アンドレイ・シチェルカーロフ、バリトン)
ウラディーミル・マトーリン(ヴァルラーム、バス)
ルカ・カザリン(ミサイール、テノール)ほか
トリノ王立劇場、及びトリノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院児童合唱団
ジャナンドレア・ノセダ指揮トリノ王立劇場管弦楽団&合唱団
アンドレイ・コンチャロフスキー(演出・照明)(2010.10.7, 10&13Live)

例えば、第2部第2場「リトアニア国境の旅籠屋」のシーンで、国境警備隊が到着し、グレゴリーが逃走する際の緊迫した数分間の音楽などムソルグスキーの真骨頂。ここではベートーヴェンの「運命」の動機風のモティーフが頻出する。
あるいは、最終シーン直前に挿入された、初版にはない第7場「クロームイ村の近くの森の空き地」のシーンにおける民衆たちの破戒僧を交えた劇的なやりとりは、このオペラのクライマックスのひとつであり、とてもエネルギッシュだ。抑圧されたものが解放されるときの並大抵でない破壊力に溢れる。ノセダの何というパワー!!

そういえばアンドレイ・コンチャロフスキーは「アンドレイ・ルブリョフ」(1966年モス・フィルム)においてタルコフスキーとともに脚本を書いた人。タルコフスキー演出の「ボリス」とはまた違った意味でロシア的な重厚さと民族性、そして宗教性を髣髴とさせる舞台に心打たれる。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

ムソルグスキーはこのオペラだけを完成できました。後のものは未完に終わり、リムスキー・コルサコフなどが補筆して完成したものがほとんどです。とはいえ、このオペラはリューリック朝断絶からロマノフ朝創始までの内乱時代の始まりを告げた作品ですね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
ムソルグスキーはオペラに限らず未完のものが多くとても残念ですが、「ボリス」ひとつでも残してもらえて良かったと思います。

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