月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日ゞ旅にして旅を栖とす。
~久富哲雄「おくのほそ道」全訳注(講談社学術文庫)P13
松尾芭蕉の畢生の作品の冒頭の調子にはまさに永遠が明滅する。五七五という最小の文字を通して表現されたミクロコスモスの侘び寂には、まるでアントン・ヴェーベルンの詩魂が重なるよう。
アルノルト・シェーンベルクによるオクターヴ内の12の音をすべて平等に扱おうといういわゆる十二音技法は、歴史的差別を被っていた深層にある反ユダヤへの抵抗、「人類は皆兄弟である」という希望や祈りのひとつの表出なのだろうか。
そしてまた、アントン・ヴェーベルンが、調を失った前衛的音楽をギリギリまで切り詰め、ミクロの世界によって精神性を表現しようとした意図は、あらゆる壁を取り払った後に残る極小世界にはすべてを超えた調和があるのだという、例えば宗教を超えた信仰から生じたものなのかどうなのか。
20世紀初頭の音楽冒険者たちの、最小の音ですべてを表現しようとした試みに深く感動を覚える。
1905年の弦楽四重奏のための緩徐楽章は、まだまだ前世紀の浪漫色濃い。この優美な旋律に、ピカソならぬヴェーベルンの音楽的天才の本質が宿る。
また、同年の単一楽章の弦楽四重奏曲の、調をもつ旋律と無調のパートの交互の表出に、全脳を駆使したヴェーベルンの革新を垣間見る。テンポを幾分遅めに設定したエマーソン弦楽四重奏団の、時計仕掛けのような完璧なアンサンブルでありながら見事に作曲者の心情までをも表現した音楽性に感無量。フォルムといい、内面といい、陰陽が錯綜するあまりの美しさ。
そして、1909年の、弦楽四重奏のための5楽章作品5は、いよいよ無調の世界に足を踏み入れつつ、しかも極めて簡潔な手法によりわずか10分強で表現されたヴェーベルンのロマンス。
ヴェーベルン:
・弦楽四重奏のための緩徐楽章 (1905)
・弦楽四重奏のための5つの楽章作品5
・弦楽四重奏曲(1905)
・弦楽四重奏のための6つのバガテル作品9
・弦楽四重奏のためのロンド(1906)
・弦楽三重奏のための楽章遺作
・弦楽四重奏のための3つの小品(1913)
・弦楽三重奏曲作品20
・弦楽四重奏曲作品28
マリー・アン・マコーミック(メゾ・ソプラノ)
エマーソン弦楽四重奏団(1992-94録音)
素晴らしいのは初期の傑作「6つのバガテル」!!構成の小ささだけでなく、ほぼ弱音を貫く音楽の緻密さと深さ、全体の見事な統一感に脱帽。
楽譜の序文にあるシェーンベルクの言葉がこの音楽の真髄を言い当てていて妙。
一篇の長編小説をたった一つの身振り、一つの幸福を一息の呼吸で表現すること。これほどの集中性は、一言も愚痴をもらさないような精神にのみ、見出される。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー16新ウィーン楽派」(音楽之友社)P144
もしかするとヴェーベルンはベートーヴェン晩年の作品「6つのバガテル」に触発されたのか?
さらに、作曲者本人が絶大なる自信を持った1936年に作曲された弦楽四重奏曲作品28。
終楽章はスケルツォ、フーガ、スケルツォ再現という構成だが、わずか2分超のこのミクロコスモスの真ん中に位置するフーガの恐るべき深み!!
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