ピアノ・デュオによる「真夏の夜の夢」

小田急線の本厚木駅で下車して、迎えのマイクロバスに乗ること2,30分。どこまで連れて行かれるんだろうと思いながら、窓外を眺めた。教え子の結婚式&披露宴。山の中腹の広々とした敷地にぽつっと聳え建つリゾート・ホテルのような建物。どうやらノバレーゼが運営しているアマンダン・ヒルズという結婚式場らしい。天気も良好で、式の後披露宴までの数十分は太陽が照りつける中庭でシャンパンを抜いて乾杯。都心から少し離れた空気の良いこういう場所でお祝いの宴を開くのもまたよし。
ところで、新郎新婦ともフィリピンのCMSP(Christian Mission Services Philippines)という孤児院を援助する”Para Sa Iyo”のメンバーで、僕も前職を辞める前年(2006年)までは毎年サポート・ツアーに参加していた。
披露宴にはCMSPのディレクターであるDinahと牧師であるKeith、そしてDinahの子息であるDinbo達3名も招かれており、いよいよ5年ぶりの再会。こんな機会が訪れるとは思わなかったので、とても嬉しく、清々しい気持ちになった。どうやら彼らも1年がかりでビザ等の申請をし、2人の結婚式を心待ちにしていたのだと。式でのKeithの言葉、披露宴でのDinahのスピーチを久しぶりに聴き、懐かしさでいっぱい。良い一日でした。

新宿のタワーレコードに寄り、少し時間をつぶした。偶然かどうか、店内ではメンデルスゾーンのピアノ連弾版による「真夏の夜の夢」序曲がかかっており、「買え」というサインにも思え、早速手に入れた。少年時代のフェリックスが姉ファニーと共同作業で、2人で演奏するために作曲したといわれる名曲。この1作によってフェリックスの名は世間に知られるようになる。

メンデルスゾーン:
・劇付随音楽「真夏の夜の夢」作品61
・無言歌作品62
・無言歌作品67-1
シルバー・ガーバーグ・ピアノ・デュオ

一方、ファニーは、出版など表立って仕事をしようとするあまりの逸脱ぶりに当時の時代背景の影響もあり、父アーブラハムから次のように諭される。

「お前はもっとしっかりしなければならない、もっと落ち着かなければならないよ。お前はもっと真剣にもっと熱心に、お前の本来の職業であり、女の唯一の職業である主婦になるように、修行を積まなければならないのだよ」

厳しい、というよりもったいない。例えば、このアルバムにも収録されている「無言歌」。そもそも「無言歌」というジャンルそのものがファニーの発明だという。ということは、作品62の例の「葬送行進曲」などもファニーの作品ではないかという推測は不可能でない。もちろんあの有名な「結婚行進曲」も。この2曲、冒頭部分があまりに酷似しているが、調が違うだけでこうも印象が変わるのかという代物(以前から雅之さんとの間で話題になっている、メンデルスゾーンとマーラーと、そしてユダヤとの関連についてもう少し詳しく知りたいものである)。

ところで、肝心の演奏。非常に丁寧で、万人受けする美しいもの。ただし、手に汗握るような駆け引きなどがあまり感じられないところが面白くないといえば面白くない。アルゲリッチとフレイレ、あるいはラビノヴィチなどがやれば最高に刺激的なものになるかも。


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。

マーラーが交響曲第5番を作曲した時期(1901年~1904年 ちなみに日本では「坂の上の雲」真っ只中の時代!)での彼の置かれた状況について、もう一度おさらいしますと・・・。

・・・・・・アルマの最初の結婚相手はグスタフ・マーラー。当時ウィーン国立歌劇場の正監督で、作曲でも注目される話題の男性である。ある晩餐会で彼に紹介された22歳のアルマは、持ち前の楽才で作曲家をたじたじとさせる。「あの娘は知的で面白い」と彼はその夜、友人に告げた。

周囲の警告を無視し、彼女はマーラーの求婚を受け入れる。芸術に最高の価値を置くアルマにとって、彼がユダヤ人で20歳も年上のうえ、重い内痔疾患を抱えていることは副次的な問題だった。2人は1902年に結婚し、娘2人に恵まれた。が、妻の心はどんどん冷えていった。

夫から献身だけを求められ、作曲の才能を封じ込まれたことに、アルマは「自分の人生を生きていない」と感じていたのである。・・・・・・(英独仏ニュースダイジェスト掲載 高橋容子さんによる記事より)
http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/almamahler

ここからは、私の大胆な推理ですが、グスタフ・マーラーはアルマとの結婚により、彼女の楽才を封印し、彼女を家庭に閉じ込めたかった。それが冒頭の結婚行進曲をひっくり返した、自由を拘束する軍隊の召集ラッパのような葬送行進曲であり(同じユダヤ人の先輩作曲家、メンデルスゾーン姉弟のことも、確実に意識していたと思います)、「その代りに結婚による大きな歓び与えるよ」との決意を、第4楽章アダージェット(アルマへの愛の調べ)と、終楽章(高い知性への賛美~快感曲線の絶頂)で、表明したのではないか。その証拠として、楽譜の表紙には、「私の愛しいアルムシ(アルマの愛称)、私の勇気ある、そして忠実なる伴侶に」と記され、曲はアルマに捧げられています。

・・・・・・「君には今後、たったひとつの仕事しかありません。私をしあわせにすることです。君の役は愛らしい伴侶、理解ある同志です」と断言した上で、「『個性』は男性にのみ稀に見出すことができる」ものだと、アルマの才能を完全否定し、「混乱した精神の持ち主(=ツェムリンスキーやブルクハルトら)」とは即刻縁を切るように命じた挙げ句、「アルマ、どうかまじめになっておくれ」などと、父親のように懇願する――。こんなにも高圧的で、しかも便箋20枚におよぶ特異な長さの手紙を、知り合って間もないマーラーから受け取ったアルマは、一体そこから何を読み取ったのだろうか。最初の出会いから1ヶ月少しあとの12月には「婚約式」が挙げられ、翌春の1902年3月、アルマはグスタフと結婚、「アルマ・マーラー」になってしまった。・・・・・・(下の優れたサイトより)
http://kcpo.jp/legacy/32nd/Mahler/MS5-Pre.htm

この曲を細部まで熟知していたアルマは、マーラーがこの曲へ込めた彼女への意図を間違いなく知っていたと思います。だからこそ彼女は、フィナーレのコラールについて、「とってつけたようで古くさい」と反発したのではないでしょうか。

アルマが、「夫から献身だけを求められ、作曲の才能を封じ込まれたことに、アルマは「自分の人生を生きていない(つまり結婚は人生の墓場)」と感じていたことに、マーラーは気付いた、だからこそ、彼は次の交響曲第6番「悲劇的」で再びアルマをテーマに入れ、終楽章ではハンマーで自らを何度も打ちのめし、アルマの心を引き留めたかったのではないでしょうか。
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※客観的史実

・アルマの回想によれば、フィナーレのコラールについて、アルマはとってつけたようで古くさいと評した。マーラーが「ブルックナーも同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えたという。

・アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。

・初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめにウィーンフィルによるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。

・マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。
(ウィキペディアより)
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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
見事な推理、いつもながら脱帽いたします。
こんなふうに背景を理解し、しかも空想しながら音楽を聴くとういうのは興味深いですよね。
マーラーといい、メンデルスゾーンといい、ユダヤ問題やユダヤにまつわる歴史的背景をより知りたくなりました。
第5交響曲の冒頭ファンファーレ、葬送行進曲&結婚行進曲の冒頭主題など、ユダヤ人なら理解できる何か秘密があるかもしれません。
ところで、パパパパーンという4つの音はベートーヴェンの第5交響曲の主題との関連性もあるのでしょうか?

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雅之

>パパパパーンという4つの音はベートーヴェンの第5交響曲の主題との関連性もあるのでしょうか?

それは当然でしょうね。
それと同時に「葬送行進曲」として「エロイカ」も相当意識しているように思います。別な楽章ではホルンが大活躍していますしね。

なお、同様のトランペット・ファンファーレは、ハイドン:交響曲第100番「軍隊」第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=J-umcS2aPiQ&feature=related
(上記You Tubeでは4分37秒あたり~)
もありますね。確かスコアでは、セカンドトランペットが吹くように書いてあったと思います。

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岡本 浩和

>雅之様
ありがとうございます。
ちなみに、メンデルスゾーンの結婚行進曲及び葬送行進曲とベートーヴェンの関連はどうでしょう?
ご紹介いただいたハイドンの「軍隊」のファンファーレもそっくりですよね。
こういう旋律、音階にそもそも何か意味があったりするんですかね?
これまで何気なく接していましたが、こうやって並べてみるといろいろと考えさせられます。

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