モントゥー指揮ロンドン響のベートーヴェン交響曲第7番(1959.5録音)を聴いて思ふ

beethoven_symphonies_monteux_london_symphony071無になることを思う。
余計な想念を捨て、ただひたすら「音」を追う。
表面上の明朗快活さはいかにも若年の勢いを持ちながらその内実は確信に満ちた老練の響き。興味深いのはゲルマン的枠組の中で、深層にあるラテン気質を意識してか無意識なのか刻印するところ。

深夜にピエール・モントゥーのベートーヴェン。
交響曲第7番はリヒャルト・ワーグナーをして「舞踏の聖化」と言わしめた傑作であるが、「はじめにリズムありき」と言ってのけたハンス・フォン・ビューローの脳裏にもこの作品の「音」がいつも鳴り響いていたのではないか。
コジマを軸にリヒャルトとハンスはつながっていたわけだが、自業自得とはいえコジマの苦悩はそれこそ並大抵ではなかった。

わたしは12年前に彼にいだいた感情を今なおもち続けていますが、彼の運命に同情し、彼が精神面や心情面において秀でているのをうれしく思い、彼の性格を心底から尊敬していました。ただ2人の気質はまったく正反対だった。そのために途方に暮れたわたしは、結婚した最初の年に早くも絶望し、一時は死にたいと思ったほどでした。こうしたせっぱ詰まった状況のなかで多くの行き違いが生じましたが、わたしはそのたびに心を奮い立たせました。だからお父さん(=ビューロー)はわたしがそんなに苦しんでいるとは夢にも思わなかったし、わたしが悲しいにつけうれしいにつけ、いつも彼のかたわらにあって及ぶかぎり力になってあげたことについても、その通りだったと証言してくれるだろうと思います。運命の手引きで、その人と生死を共にすることがわたしの天職だと認めざるを得ないような方とめぐり会わなかったら、お父さんがわたしを失うようなことにはならなかったでしょう。
(1969年1月8日金曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記1」(東海大学出版会)P18

何とも言い訳がましい、いかにも後悔を装うエゴイスティックな文面にコジマ・ワーグナーのしたたかさを思う。しかしながら、であるがゆえに一層我の強いリヒャルトに添い遂げることができたのであろうとも。

すべては在るように在り、なるようにしかならないのである。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1959.10.15-16録音)
・交響曲第7番イ長調作品92(1959.5.23-27録音)
ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団

イ長調交響曲全編を通じて感じられる躍動感に老巨匠ならではの余裕を思う。
過去を悔やまず、未来を不安視せず、今ここにある楽観主義的解釈とでも表現しようか。第2楽章アレグレットが笑う。第3楽章プレストがうなる。
そして、終楽章アレグロ・コン・ブリオの弾ける悦びは聴く者に幸せ感を与えてくれる。
他を冠絶する名演奏。

 

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2 COMMENTS

雅之

>過去を悔やまず、未来を不安視せず、今ここにある楽観主義的解釈

同感です。私も、モントゥーのベートーヴェンやブラームスは好きです。

先日、岡本様に久々にお会いして良い刺激を受け、シルバーウィークでもあったので、懐かしい気持ちで3年超ぶりに一応期間限定でコメント投稿を復活してみました。ご多忙にもかかわらずお付き合いいただき、ありがとうございました。

ところで、このところアドラー心理学がなぜ今ブームになっているのかを自分なりに考察していましたが、ふと気付いたのは、ネット社会でのモラルとの親和性が高いのではないかということでした。

現代はフェイスブックやツイッターやブログなど、インターネット上の繋がりやソーシャルネットワークを通じて、新たな友人関係を築いています。情報が溢れ、顔の見えない相手とも積極的に接するからこそ、自分の課題と他者の課題を分離する必要があり、自己への執着を他者への関心に切り替えて「横の関係」を意識しつつ共同体感覚を持って、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」していくことが必須になるのだと思います。

そして、「過去を悔やまず、未来を不安視せず、今ここに強烈なスポットライトを当てる」「自由とは、他者から嫌われることである」等は、ネット社会で生きていく覚悟としても、極めて重要だと思います。

「私は、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから」

「どうして自分を責めるんですか? 他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだから、いいじゃないですか」

と、アインシュタインも言っています。

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岡本 浩和

>雅之様
こちらこそお忙しい中、貴重なコメントをありがとうございます。
アドラー心理学のブームに関する考察、素晴らしいです。
おっしゃる通りだと思います。
実体としてのつながりが薄くなっている現代社会ならではの傾向であり、
だからこそリアルに会ってコミュニケーションすることが一層重要になるのです。
その意味では、先日お会いできたこと本当に良かったです。
わずかな時間でしたが、僕もとても刺激を受けました。

あと、アインシュタインの言葉良いですねぇ。
いただきです。(笑)
あわせてありがとうございます。

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