アラウのベートーヴェン「ディアベリ変奏曲」(1985.4録音)を聴いて思ふ

beethoven_diabelli_arrau330今年1月に亡くなられた中山康樹さんが村上春樹さんのジャズ論を分析しながら語る現代のジャズの話が実に興味深い。中山さんはジャズ音楽を、「燃えるジャズ」、「燃えないジャズ」、そして「分別不可ジャズ」という3種類のカテゴリーに分類する。
その上で、現代のジャズ音楽の凋落の原因は、明確に断定はしないものの、巨人たちの時代が過ぎ去り、80年代初頭に突如として現れ、以降ジャズ・シーンの前線を走り続けたウィントン・マルサリスにあることを暗に示唆する。
そう、ここで彼は、ウィントン・マルサリスを俎上に載せ、否定も肯定もしないという口調で、ジャズの歴史を語りながらいかにジャズ音楽がつまらないものになってしまったかを論じるのである。

とはいえ、「燃えないジャズ」に分別されるマルサリスの音楽が、ある意味時代を超えて聴かれていること、そして何よりジャズ・シーンにおける彼の功罪が長年にわたり幾度も論じられること自体が、いかにマルサリスが「重要であるか」を逆に物語っているのだと言えまいか。

1960年代に登場し、ジャズの巨匠たちとともにシーンを作り上げてきた当時の若手であったキース・ジャレットやハービー・ハンコックの音楽と、1980年代に突如として現れ、時代の寵児として一世を風靡したウィントン・マルサリスとでは何が違うのか?
当時、キースはこんな発言をしていたらしい。

最近の若手の黒人ミュージシャンたちは実にうまくジャズを演奏する。でも彼らの創造性というのはいったいどこにあるのだ。
中山康樹著「現代ジャズ解体新書」(廣済堂新書)P60

どうやら若手の黒人ミュージシャンというのはウィントンその人を指すようだ。
良し悪しは人それぞれの判断。ならば、少なくともいつの時代においても是非が論じられるウィントン・マルサリスの音楽には普遍性がある。
彼の発してきた言葉は一々刺激的だ。

ジャズはヨーロッパ音楽とは異なる地平で発展してきた。その音楽世界では革新は進化をあらわさない。どんなに初期のジャズでもまったく色あせていないからで、それどころか現代のジャズよりもモダンといっていいくらいだ。ジャズの演奏は長くなりすぎて聴衆を退屈させている。
~同上書P147

何が気に入らないかっていえば、ジャズって呼び名がいまや猫も杓子も十把ひとからげにして使われているからさ。どんなものでも「ジャズ」なんだよ。何もかもが「ジャズ」なんだ。
~同上書P151-152

至る場所でいわゆる新旧交代は起こるもの。時代が人を作り、時代の空気が音楽の在り方までをも変えてしまうのである。

話題を変える。
1991年5月から6月にかけて、ルドルフ・ゼルキン、ヴィルヘルム・ケンプ、そしてクラウディオ・アラウまでもが相次いで逝き、これをもってピアノの巨匠の時代は終わったと、当時僕は思った。脈々と息づく独墺古典音楽を重厚に、そしていぶし銀のごとく奏でることのできる老巨人たちの音楽は、20世紀後半の聴衆たちを大いに魅了した。

久しぶりにクラウディオ・アラウの「ディアベリ変奏曲」を聴いて思った。
ベートーヴェンの懐は深いと。
楽聖が最晩年に到達した境地は、ある観点から見ると、ジャズの巨人たちが目指そうとしていた「在り方」に限りなく近い。それは、ウィントン・マルサリスが作り出そうとしていた、整理整頓されたきれいな「燃えないジャズ」ではなく、もっと遊びのある、それでいて深く遠い「燃えるジャズ」に近いのだ。
しかし、一方で、実に洗練されたいかにも冷徹なヴァレリー・アファナシエフの世界をも受け容れるだけの幅がある。
ベートーヴェンの作品111にはジャズの萌芽が聴こえる。同時に作品120にも。

・ベートーヴェン:ディアベリのワルツによる33の変奏曲作品120
クラウディオ・アラウ(ピアノ)(1985.4.3-7録音)

例えば、第18変奏におけるジャズもどきの憂鬱。アラウのここの表現は、誰のどんな演奏より真実味がある。そして、何より続く明朗快活な第19変奏と暗澹たる第20変奏の対比に見る解放の妙。
さらには、第29変奏以降の透明感に涙がこぼれる。静かに燃える内面の炎は、アラウの丁寧かつ思い入れのある演奏によって一層の光彩を放つ。

洗練されたウィントン・マルサリスの音楽は、あらゆるものを包み込む不思議な世界。アラウのそれもアファナシエフのそれも受け入れるベートーヴェンの「ディアベリ」の世界と相似形。
現在・・・、時代と空気がそういう音楽を求めているのだろう。

 

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2 COMMENTS

雅之

ウィントン・マルサリスの振る舞い方は同学年(1961年10月18日 – )なんで非常に気になるんですよね(笑)。僕らは若い頃から、新人類とか、しらけ世代とか言われてきましたから・・・・。

ご紹介の本に刺激を受けてから、『マルサリスの肖像』や『スタンダード・タイムVol.1』を何回も聴き、彼の音楽には僕らの世代の物事の捉え方に通じるものが確かにある・・・、と感じました。

ただ、そのマルサリスも、もう古いんですよね、グラスパーのCDなんかを聴いちゃうと・・・(これがジャズ?って中山さんみたいに僕も思いました)。グラスパーのは、変な喩えだけれど、岡本様じゃなくてホリエモンがアドラー心理学を語ってるイメージ?(笑)。

マルサリスはヴァレリー・アファナシエフの世界に近いですか?
僕はむしろ、マルサリスから、世代はまったく異なりますが、ポリーニを連想しましたけれど・・・、どうなんでしょう?

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岡本 浩和

>雅之様
先日いただいた書籍をさっそく読ませていただきました。
ウィントン・マルサリスはマイルスが糞みそに貶していることでこれまでも注目をしておりましたが、いろいろな意味で一層興味を持つようになりました。
この前にもお話が出たように、音楽の再創造や解釈に答はないですよね。
ウィントンについても世代間のギャップはあるのでしょうが、完全否定できない何かがあるのでしょうし。
とはいえ、残念ながら実演を聴いておらず、音盤についても僕は真面に聴いていないので云々できません。

アファナシエフについては、少なくとも音盤におけるこの人の、(小難しいながら)きれいで説得力のある演奏に不思議な清澄感があるのはマルサリスと似ているのかなと思ったからです。なんとなくの直感なのでおっしゃるようにポリーニの方がぴったりかもしれません。一番しっくりくるのはカラヤンですかね。それこそ「燃えないクラシック」ということで。

そういえば、雅之さんと同年でしたか!それはもう無視できませんよね。

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