2年前の胃穿孔の大手術の後遺症のせいだろうか、相変わらず重厚でありながら、エネルギーほとばしるとまでは言えない枯淡の境地。
数年前のデッカヘのスタジオ録音を髣髴とさせる演奏でありながら、前のものが比類ない圧倒的パッションを内在させたのに対し、まるで晩年のモーツァルトが体得したような純白のワーグナーを垣間見る。
1963年5月21日。ウィーン芸術週間におけるクナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルによる楽劇「ワルキューレ」第1幕を観て思った。
指揮台上で椅子に坐しての舞台姿もかなり衰えた印象。クライマックスの箇所で時折立ち上がりながら、ほとんど動くことなく音楽を進めてゆくその様子はまるで不動明王の如く。どんなに枯れ果てても後光の差すその姿に畏怖の念を禁じ得ない。
それにしても病というものが人間の肉体はもとより精神に及ぼす影響の大きさを思う。否、というより「切った、貼った」という大手術の方が問題なのかもしれぬ。目先は良かれど、長い目で見たらば・・・。世界はバランスで成り立っている。すなわち、人間の身体もバランスの中に在るのだ。
その点、1950年代のハンス・クナッパーツブッシュの音楽は誰もがひれ伏すであろう圧倒的巨大さと、それでいて決して大味にはならない繊細な内面を秘めた、他にはない異彩を放つものだ。特に実演における一期一会的パフォーマンスの驚異。
バイエルン国立管弦楽団との実況録音が素晴らしい。
シューベルト:
・交響曲第7番ロ短調D.759「未完成」(1958.2.10Live)
ヨーゼフ・ランナー:
・ワルツ「シェーンブルンの人々」作品200
ヨハン・シュトラウスⅡ世:
・ワルツ「千夜一夜物語」作品346
・ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
・アンネン・ポルカ作品117
・エジプト行進曲作品335
・ワルツ「南国のバラ」作品388
ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウス:
・ピツィカート・ポルカ
カレル・コムザークⅡ世:
・演奏会ワルツ「バーデン娘」作品257(1955.3.20Live)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団
哀愁よりも愉悦を思わせる壮絶な「未完成」交響曲。一音たりとも無意味さのない血のたぎる表現。第1楽章アレグロ・モデラートでは弦楽器がうねり、金管は咆哮、そしてティンパニは炸裂する。果たしてシューベルトのこの曲がこれほどの激烈さを求めるものなのか、それはわからないが、この日のこの時会場にいた人々は震撼したことだろう。
そして、一切のぶれのない確信に満ちる第2楽章アンダンテ・コン・モートの粋。
さらには、ランナーほか、シュトラウス・ファミリーのワルツ&ポルカの素晴らしさ。
例えば、ワルツ「シェーンブルンの人々」!!何より指揮者本人が音楽を楽しむ様と、オーケストラの面々が自由に飛翔する様子が容易に想像できる。とはいえ、一層素敵なのはシュトラウスの「ウィーンの森の物語」。重い響きながら流れる旋律に覚える陽気さと可憐さ(ここでもシンバルやティンパニの轟音の見事さよ)。
「ピツィカート・ポルカ」と「バーデン娘」はおそらくアンコールだろう・・・、意外にポルカは乗りに乗る。クナッパーツブッシュが踊るが如し。そして、十八番のコムザークⅡ世「バーデン娘」はテンポの揺れ、ためと解放、そして音の激しい強弱を伴う実演ならではの実存感!!ここには「歌」がある。
65年10月25日午後4時55分、グスタフ=フライターク=シュトラーセ10番の自宅にて逝去。享年77歳。死因は急性の心臓および循環不全。
埋葬式は28日9時半から、聖ゲオルク教会に隣接するボーゲンハウゼン墓地で行われた。参列を許されたのは、ごく親しい縁者・友人など20ていど。牧師が短い説教を行い、それから祈りの言葉を唱え、参列者が唱和した。音楽・歌・スピーチなどをいっさい排した埋葬式と列席者の人選はすべて故人の遺志によるものであったという。
~奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P194-195
真にクナッパーツブッシュらしい。
ハンス・クナッパーツブッシュ50回目の命日に。
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