John Coltrane Both Directions At Once THE LOST ALBUM (1963.3.6録音)ほかを聴いて思ふ

ジョン・コルトレーンの完全未発表スタジオ・アルバム(1963年3月6日録音)がリリースされて以来、しばらく黙って聴き続けてきた。紛れもなくコルトレーンの音。感慨深い。

1961年5月2日の、ラルフ・J・グリーソンのコルトレーンへのインタビュー。
当時、コルトレーンは34歳。

自分が何をやりたいのか分からない。かと言って、立ち止まろうとも思わない。(中略)一つだけ言うと、これまでの私は“内側”からやることが多かった。だから今は外に出て、辺りを見渡したい。その上でなら、たぶん言える。これを目一杯やろうとか、あれに全力で取り組もうとか。ただ、実際にはずっと内にこもっている。
クリス・デヴィート編/小川公貴、金成有希共訳「ジョン・コルトレーン インタヴューズ」(シンコーミュージック)P124

漠然とした目標の中で、彼は内にこもりつつも何か新しいことを起こそうと常に目論んでいたのである。コルトレーンの内側にあったことは、その意味では、豊田章男×イチロー対談の中で、イチローが言う「成長できるとするなら後退もしないといけない」という言葉にとても近いように僕は思う。
同年、ボノワ・ケルサンとのインタビューで彼は次のように語る。

私がやろうとしているのは—私はある意味、手さぐりで物を探っているんだ。自分の進むべき道を模索しているんだよ。私にできるのは、自分がこれまでいた場所から這い出そうとすることだけ。とにかく前へ進むしかない。前に進みつつ、石を一個ずつ積み重ねていくんだ。
~同上書P151

自身の内側と対峙しながら、一方で彼は聴衆との密接な触れ合いも望んでいた。1961年11月17日、ボブ・ダウバーンのインタビューの最後に彼はこう語った。

今度はぜひクラブで演奏したい。もっとオーディエンスと触れ合いたいんだ。
~同上書P169

成長に必要な要素がすべて含まれる。すなわち常々の内省と発信。
さらに、同年のヴァレリー・ウィルマーとのインタビューでの言葉は重い。

私がミュージシャンとしての向上心を強く持つようになったのは、マイルスのおかげだ。彼の音はかつて聴いたことがないくらい心地よかった。彼はまた、シンプルなものの良さを教えてくれた。あらゆる面で音楽的な刺激を受けた。以前、彼のレコードを聴いていた頃は、マイルスがトランペットを吹くようにテナーをプレイしたかった。ただ、彼と一緒にやってみて、それは一生無理だと悟った。それを契機に、私は彼とは逆方向へ進み出したんだと思う。
~同上書P178-179

基本的に、私は停滞したくないんだよ。あっちへ行ったり、こっちへ行ったりした挙句、自分が次に向かうべき場所が分からなくなる。それでも一旦、立ち止まってしまえば、私は音楽への興味を失ってしまう気がする。
~同上書P180

芸の獲得の基本である「守破離」を彼はあくまで自然体で、感覚的にやってのけたのである。変化に対する恐れより、変化しないことの恐れを彼は知っていた。ジョン・コルトレーンは偉大だ。

・John Coltrane Both Directions At Once THE LOST ALBUM (1963.3.6録音)

Personnel
John Coltrane (tenor saxophone, soprano saxophone)
Jimmy Garrison (double bass)
Elvin Jones (drums)
McCoy Tyner (piano)

冒頭、“Untitled Original 11383 (Take 1)”から涙。コルトレーンにしか出せない、一聴即座にわかるコルトレーンのプレイに震撼する。あるいは、マッコイ抜きのトリオ編成での”Impressions (Take 3)”の前進性に驚嘆、また”Nature Boy”のメロディアスかつトリッキープレイにも舌を巻く。”One Up, One Down (Take 1)”は、ジミーのベース・プレイが最高。ほとんど眼の前でコルトレーンが生き還り、演奏しているようだ。

ちなみに、あるインタビューで、アーチー・シェップが興味深いエピソードを披露している。

ところで、ジョンが入れ歯だったことは知ってるかい?この時代のサックス奏者はマウスピースに合わせて歯を抜いてしまうひとが多かった。それで、彼も入れ歯を作ったんだ。でも、最初のは合っていなかった。二度目でフィットするものができたけれど、それまでに数年かかっている。
わたしが会った当時は最初の入れ歯をしていたときだった。それでもジョンの演奏にエキサイトしたけれど、本人は満足していなかった。もっと激しいプレイがしたかったんだ。しかし激しいブローをすると歯茎が炎症を起こしてしまう。そうなるとかなり痛いらしい。それで悩んでいた。二度目の入れ歯ができたのは次の年だと思う。そのときからジョンの演奏は飛躍的に激しいものになった。アトランティックやインパルスから発表するようになった作品が、それ以前のプレスティッジで吹き込んだものと違うのはそれが理由だ。
小川隆夫「ジャズジャイアンツ・インタヴューズ」(小学館)P106

何と入れ歯が演奏に大きな影響を与えていたという事実が興味深い。

ところで、イギリスの雑誌「ジャズニュース」1961年9月27日号に掲載されたジーン・リースの「コルトレーン―人と音楽」という記事には、おそらくコルトレーンの音楽的発展に寄与したであろう出来事や、彼の独特の価値観について語られており、これまた実に面白い。

食後は彼にステレオ・ヘッドフォンで、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴かせてやった。彼はヘッドフォンでステレオを聴くのも協奏曲を聴くのも初めてで、30分ほどじっと座って音楽に没頭していた。
それから彼は謝った。マイルスたちと違って、自分にはクラシックの素養がなくて申し訳ない、と。そして、たった今。クラシックが好きになってきた、と言った。彼が自らの教養のなさを追い目に感じているのは明らかだった。
クリス・デヴィート編/小川公貴、金成有希共訳「ジョン・コルトレーン インタヴューズ」(シンコーミュージック)P118

たぶん、この時のコルトレーンの言葉は嘘偽りのない事実なのだと思う。バルトークの、理知的かつ官能的な民族衣装を着た傑作に、彼は少なくとも感覚的には虜になったはずだ。

・バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1969.6-7録音)
・コダーイ:ガランタ舞曲(1969.6-7録音)
・ヤナーチェク:シンフォニエッタ(1969録音)
小澤征爾指揮シカゴ交響楽団

長い間、僕は小澤征爾を侮っていた。シカゴ響の、精緻でありながら鮮烈な大音響、それも決して無機的にならない音と、オーケストラを見事に統率する33歳の小澤の能力に心底震えた。何より中庸なテンポで開始されるバルトークの、音楽が進むにつれ勢いを増し、煌く音響を発する演奏にひれ伏したいくらい。白眉は、抒情性あふれる第3楽章エレジーか。色彩のセンスと激しい歌に思わず感応せざるを得ない。
同時期録音のヤナーチェク「シンフォニエッタ」もシカゴ響ならではの爆演。

明日はジョン・コルトレーン92回目の生誕日。今夜は前夜祭だ。

 

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