バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのコープランド交響曲第3番ほか(1985.12Live)を聴いて思ふ

copland_3_bernstein_nyp475土俗的であること。あくまで母語を忘れないこと。そして、尽くすこと。
すなわち、アーロン・コープランドのこと。彼の音楽はどんなものでもその精神に深く根ざすものだ。

感銘を受けたコープランドは、ナディア・ブーランジェに習うため、3年間フランスに滞在を続けた。ある時期は彼女のバリュー通りのアパルトマンに客人として住み込んでさえいた。彼はリカルド・ヴィニェスとピアノの仕事をすることで、滞在をさらに延ばした。加えて、ナディアは、当時世界の中心であったパリ音楽界を彼に紹介した。特に、一緒に働いていたセルゲイ・クーセヴィツキーを彼に紹介したのだ。その頃、ロシア生まれの指揮者であるクーセヴィツキーは、パリのオペラ座で成功を重ねたためピエール・モントゥー去りし後のボストン交響楽団の首席の地位に指名されたばかりであり、若き作曲家にとって、この出会いは最も重要なものとなった。
ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P74

生きるということは縁をつなぐということ。すべてが縁であることがわかる。その上での(才能以上に)具体的行動の大切さ。生かすも殺すも続けるかだ。

最近私は、冷戦はほとんど実生活よりもむしろ芸術に悪影響を及ぼすと思うようになりました―というのは、冷戦は周囲の状況を恐怖と不安で満たしているからです。芸術家が活気のある健康的な環境のなかでしか最大限の機能を果たすことができないのは、創造行為そのものが肯定的だという単純な理由によっています。自らの主義主張のために戦争で戦う芸術家は、自らが信じることのできる何か肯定的なものを持っています。その芸術家は、もし生きていれば、芸術を創造することができるでしょう。しかし、冷戦の姿勢の特徴とも言える懐疑と悪意と恐怖の状況のなかに芸術家を投げ込んだら、その人は何も生み出すことができません。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P393-394

コープランドのこの言葉のうちには真実と意思がある。負の美学とはいうものの、「自らが信じることのできる何か肯定的なもの」があっての芸術なのである。彼の音楽はその意味で明らかであり、肯定的、絶対的だ。

コープランド:
・交響曲第3番(1944-46)
・「静かな都会」(トランペット、イングリッシュ・ホルンと弦楽器のための)(1940)
フィリップ・スミス(トランペット)
トーマス・ステイシー(イングリッシュ・ホルン)
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1985.12Live)

いまだ第2次大戦中の作曲であるにもかかわらず、何という楽観性。
交響曲第3番は、見事にコープランドらしい語法で、しかもそれを親交の深かったバーンスタインが圧倒的解釈で再生するのだから名演奏にならないはずがない。
特に、終楽章に引用された自身の「庶民のためのファンファーレ」の力強さはニューヨーク・フィルの管楽器の力量がものをいう。

そしてまた、「静かな都会」における透明感、幻想性。
アーウィン・ショーの舞台のための音楽を組曲としたこの作品は、またミュージカル作曲家でもあったバーンスタインの素晴らしい棒によって物語が実にリアルに音化される。何よりユダヤ人少年を表わすトランペットの哀感、あるいはホームレスを象徴するイングリッシュ・ホルンの寂しい調べ。本当に美しい・・・。

これらにもまたナディア・ブーランジェのDNAが引き継がれるのである。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


4 COMMENTS

雅之

>いまだ第2次大戦中の作曲であるにもかかわらず、何という楽観性。

みんなこの曲のことをアメリカ人的楽観主義といいますが・・・、「楽観」とは違うんじゃないでしょうか。そこまでおめでたい作曲家かなあ?

作曲当時、ユダヤ人知識人のひとりとしてのコープランドの心境は「楽観」ではなく、強いていえば「達観」だったと私は思いますが・・・。

私は、マーラーの第7交響曲の終楽章のがそうであるように、明るい曲想の裏に想いを馳せたいです。クーセヴィツキーの亡き妻ナターリヤの追憶に献呈された曲でもあるのですから。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

ナディア・ブーランジェとのいろいろな絡みを知るにつけやっぱり楽観の人だと僕は思うのですが、雅之さんがおっしゃるように「達観」という言葉がより相応しいのかもしれません。

>明るい曲想の裏に想いを馳せたい

一理あります。
とはいえ、ちょうど第3交響曲作曲中の1945年10月に、ナディアを挟んでクーセヴィツキーと共に撮った写真の明るい笑顔を見ると(写真をお見せできないのが残念ですが)、コープランドは根っからの楽観主義者にしか見えないんですよね。あくまでイメージですが・・・(笑)。

返信する
雅之

そう、そのイメージってやつがじつは曲者なんですよね。イメージは一人歩きしますからね(笑)。事実、その後彼は段々寡黙になっていきましたから。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む