リッツィ指揮ウィーン・フィルのヴェルディ「椿姫」(2005.8録音)を聴いて思ふ

verdi_traviata_netrebko503「道を踏み外した女」とは・・・。
あくまで、男の側からの解釈である。ヴィオレッタ・ヴァレリーには相応の理由があった。
第3幕、すでに死の影の差すヴィオレッタの哀しみと愛が切々と歌われる。こんなにも心のこもった歌があるのかというくらい音楽は儚く、そしてまた切ない。
わずか30分ほどのこの幕の、言葉に表現し難い苦悩はジュゼッペ・ヴェルディ渾身の音楽によって一層その色を濃くする。

「椿姫」作曲の頃の、義父アントニオ・バレッツィ(先妻マルゲリータの父親)に宛てた手紙には次のようにある。当時すでにマルゲリータを亡くしていたヴェルディは、2番目の妻ジュゼッピーナ・ストレッポーニと生活を共にしていたわけだが、アントニオはジュゼッピーナに対して非常な不信感を抱いていたのだという。

長々と書きましたが、私の言いたかったのはただひとつ、自由を尊重していただきたいということです。これは人間たる者誰しもが持っている権利なのですから。それに私の性分として自由を阻まれることには我慢がならないのです。ただ、あなたにお願いしたいことがあります。本来はあれほど慈悲深く公正で誠実な方なのですから、どうか他人に影響されないでいただきたい。
~名作オペラブックス2「ヴェルディ 椿姫」(音楽之友社)P231

その意味ではヴェルディも勝手な男だったということだ。
時代が女を悪者にしたのだろうが、現代の感覚からすれば同罪。
ヴィオレッタの死の場面に男の一方的な妄想を思う。
そもそも自然の理に従わなければ何事も崩壊の道は免れない。

・ヴェルディ:歌劇「椿姫」
アンナ・ネトレプコ(ヴィオレッタ・ヴァレリー、ソプラノ)
ヘレーネ・シュナイダーマン(フローラ・ベルヴォア、メゾソプラノ)
ダイアン・ピルヒャー(アンニーナ、ソプラノ)
ロランド・ヴィラゾン(アルフレード・ジェルモン、テノール)
トーマス・ハンプソン(ジョルジオ・ジェルモン、バリトン)
サルヴァトーレ・カルデッラ(ガストーネ子爵、テノール)
パウル・ガイ(ドゥフォール男爵、バリトン)
ヘルマン・ヴァレン(ドビニー侯爵、バス)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団
カルロ・リッツィ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2005.8録音)

第3幕だけを繰り返し聴く。
このあまりに悲しいヴィオレッタの最期を目の当たりにし、音楽の底知れない力に思わず力が入る。当然だけれど、アンナ・ネトレプコの絶唱が圧巻(息絶えるとは思えないほどの熱い歌に少々違和感を覚えなくもないが)。
ともすると異様な人気が先行する彼女だが、その実力は真に計り知れない。

アルフレード:
もう死んでしまうのだって、ああ、いけない、
ああ、生きておくれ、さもないと
ぼくもきっとお前といっしょに死んでしまうのだ。
ヴィオレッタ:
(不意に生き生きと起き上がり)
不思議だわ!・・・
一同:
なんですって!
ヴィオレッタ:
苦しみのけいれんがなくなりましたわ。
私の中に、いつにない力が生まれ・・・
はたらいているの!
ああ、でも私、生きるんだわ!・・・
ああ、うれしいわ・・・
(長いすの上に倒れる)
一同:
おお、神様!・・・お亡くなりになってしまった!
アルフレード:
ヴィオレッタ!・・・
アンニーナとジェルモン:
おお、神様、お救い下さい・・・
医師:
息絶えてしまった!
一同:
ああ、悲しい!
~同上書P109

ヴェルディの音楽は実に現実的で美しい。
ネトレプコの歌は時に健康的でありすぎるところが不満と言えば不満だが、役柄を超えて迫るエネルギーは並みでなく、実際の舞台に触れたらば感電死するんではないかと思えるほど(言い過ぎだろうか?)。
ちなみに、第1幕前奏曲の力強さに、カルロ・リッツィ指揮するウィーン・フィルの素晴らしさを思う。音楽が全編躍動する。

 

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